第166話 河内長島平定戦 降伏

文字数 1,340文字

 小木江城、謁見の間。
 仙千代、竹丸が背に持し、上段に座した信長の眼前に、
敵将、大木兼能(おおきかねよし)が居た。

 兼能は先祖が伊勢国 大木の城主で、
信長の北伊勢平定戦により敗北を喫し、領国を奪われると、
落ちのびた先の長島で、一向門徒側の大将として、
精神的指導者である下間頼旦(しもつまらいたん)の配下に入った。
 頼旦の抱える名のある将としては、あと一人、
日根野弘就(ひねのひろなり)が居て、
大木、日根野の両名が一揆衆の総大将的な任を負っていた。
 日根野弘就は、斎藤道三、浅井長政に仕えた智将で、
浅井家滅亡後、やはり長島に流れ着き、
今では頼旦、ひいては本願寺の顕如に与している。

 これ以上はないというほど頭を床に擦り付け、
兼能は平伏していた。

 「大木殿、(こうべ)を上げられよ」

 内心、愉快でたまらない。
 剛然と見下す態度が常の信長なのだが、
余りの機嫌の良さを隠しきれず、つい、髭を撫でてしまう。

 今日こそ、積年の恨みを晴らしてくれる!
異母弟(おとうと) 信興を喪い、二つの城を奪われ、
氏家卜全、蜂須賀正元、林通政ら、忠臣を喪い、
この四年、どれほど煮え湯を飲まされ続けたか!
積年の鬱憤を今日こそ晴らす!……

 兼能はひたすら頭を擦り付けたまま、一気に放った。

 「このまま籠城を続けても女子供まで害が及ぶと判断し、
土豪にも今後一切貴軍に抵抗することはないと印判状を認めさせ(したためさせ)
今日(こんにち)をもって我が方は全面降伏致し、
下間頼旦は首を差し出す所存にて、
皆々の退去を見届けた後、
許されるのでありますれば、
この大木兼能と日根野弘就も腹を割き、敗北の責を負う覚悟、
どうか、降伏を受け容れていただきますよう、
このとおり、何卒、何卒、お願い申し上げ奉りまする」

 一国の主であった大木兼能が、
額をぐいぐいと床に押し付け、敗北を完全に認め、
下間頼旦及び総大将二名の命と引き換えに、
女子供、雑兵の助命を嘆願している。

 この後の修羅を想像し、笑い声さえ上がりそうになる。

 「大木殿。儂はけして鬼ではない。
一心に仏の教えのみ、携えて生きていこうというのなら、
哀れな衆生を飢えて死なせるような真似はせぬ。
武器を捨て、長島を粛々と後にするのであるならば、
我が軍の船を使い、摂津へ向かってゆくのが宜しかろう」

 逐一、噓八百だった。

 兼能が全身を耳にしていることがびしっと伝わる。

 馬鹿め!
大将が死ねば下は許されるなど、まったく有り得ぬ!
あってはならぬ!
そもそも、兵糧が足りぬとなって尚、我が軍を欺いた上、
長島、屋長島、中江の三城に好んで籠り、
その間にも裏では武田勝頼に援けを求め、画策し、
挙句に三人以外は全員救えなど、笑止千万!
馬鹿につける薬は無いとはこのことよ!……

 「下間殿、日根野殿、大木殿、
御三方も、命を差し出される必要はない。
門徒衆を導いて、長島の地を後にされよ。
此度の沙汰を顕如殿が温情と受け取るのであれば、
それで良し。
儂も仏敵呼ばわりは興ざめなのでな」

 思わず頬が緩みそうになるのを堪える。

 いつも通りの明快な声が今朝は一段と良く響く。
主の上機嫌を、後ろに控える仙千代と竹丸も、
その背に読み取っているはずだった。

 やがて長島の地は鮮血に染まり、
流れた血潮は海流に乗り、摂津の顕如に届くであろう、
顕如、よく見ておくのだ、
己が欲の為、如何に多くの無辜(むこ)の民が苦しみ、
死してゆくのかを!……


 














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