第155話 小木江城 湯浴み(1)

文字数 1,495文字

 金瘡医の許可が下り、
仙千代はようやく湯浴みを許された。
 それでも長く湯気にあたることは戒められた上、
いよいよ一揆勢の降伏の日は近いということで、
呑気に長湯をする雰囲気でもなく、
小木江城の湯殿は簡単な行水の場となっていた。

 仙千代はこの二十日ほど、療養に専念していて、
勤めから完全に離れていた。
もちろん、信長の閨房にも呼ばれていない。

 仙千代とて若い男子であるから、
いくら負傷していても、
高熱が微熱となって、多少なりとも復調すれば、
溜まったものは出さねばならず、
手を動かせば背中の傷が痛んだが、
夜に一人になれば自分でそれは始末した。

 触っていると、信忠の裸体が思い浮かび、
褥での信忠はどのように夜伽相手を悦ばせるのか、
また、乱れた信忠はどのような姿態を見せるのか、
想像を巡らせてみる。
 そして、津島で抱き合った時に嗅いだ、
若葉のような香りを思い出す。

 仙千代は、
もう信忠に追い縋ることはしないと決めた。
それは確かにそうなのだが、
精を放つ間際には、どうしても信忠が浮かんでしまう。
現実にはけして起こり得ないことだからこそ、
信忠は夢の存在のまま、憧れだった。

 小者(こもの)に湯を頼んでおいたところ、
竹丸がやって来て、仙千代の行水を手伝うと言った。
 
 「自分でできる」

 とはいうものの、寝衣を脱ぐ動作ひとつ取っても、
背中がズキズキ痛み、じいんと痺れた。

 「強がるな」

 信長の脱ぎ着をいつも手伝う小姓ならではで、
竹丸が手際よく、仙千代を素っ裸にした。

 「無理に腕を上げ下げすれば傷がまた開く。
副将様から命じられたのだ。万見を看てやってくれと」

 「副将様に?」

 竹丸は仙千代を脱がせながら、
朗らかな調子で答えた。

 「ああ、そう仰っておられた。
先だって、帰られる間際に」

 「副将様が……」

 「前は自分の許に居った小姓が手柄を立てたとなれば、
それはもう自慢に思われたのであろう。
儂が副将様でも同じように思う。
仙の一日も早い快癒を副将様は強く念じておられる」

 「そうか……有り難さに言葉もない……」

 松姫への手紙(ふみ)の書き損じを拾って持ち帰ったことは、
信忠の逆鱗に触れてしまったが、
その怒りを超え、
かつての主として情けを寄せてくれたことは、
感謝すべきことだった。

 思い遣ってもらえた嬉しさは、ある。
同時に、
やはりもう完全に、
君主の嫡男と一家臣なのだと思い知った。

 若殿、枕元に顔を見せて下さっただけでなく、
竹丸に、そのような言葉を……

 強引に蓋をしたに信忠への思いは、
いくら強く押さえても溢れて零れる。

 涙が勝手に流れた。

 仙千代の馬鹿!
嫌われて、冷たくされて、
ちょっと手柄を立てたといって言葉を貰えば嬉し泣きして、
馬鹿な男だ、仙千代は!
 もう儂は過去は振り向かん、
前だけ見て進むんじゃ!そう決めたんじゃ!……

 檜の大(たらい)に湛えられた湯で、
仙千代は顏をばしゃばしゃ洗った。

 「何だ、親の仇のように、手荒な。
おい、こっちまで濡れる!湯を飛ばすな!
背中、流してやらんぞ」

 「竹丸!儂は出世する!
名を挙げて、一国一城の主になるんじゃ!
故郷に錦を飾って、善政を敷き、
後世に名を残す名君になる!」

 何が感情を高ぶらせたのか、声をあげて号泣した。

 「あーっ、あああーっ!わああ!」

 「おい、仙千代、何事かと驚かれる!
おい、どうした」

 「竹丸!共に出世しよう!
いや、出世競争じゃ!儂は負けん!竹も負けるな!
わーん!あああーんっ!」

 竹丸は驚き、呆気にとられ、
やがて、抱き締めてきた。

 「竹!竹丸!」

 仙千代も抱き着き、
これ以上はない声を放ち、叫び泣いた。

 「仙千代!仙千代!」

 竹丸の腕に力がこもる。

 「竹丸!」……

 

 
 
 



 
 
 

 

 
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