第18話 悪夢

文字数 2,127文字

 床に倒れたまま、
苦しみから逃れる為の眠りに落ちていた仙千代に、
名が呼び掛けられる。

 「仙、仙……」

 意識の中では、
懊悩の元であるはずの信重を求め続けていて、

 勘九郎様、勘九郎様……

 と、愛しい人の名を呼び続けていた。

 勘九郎様、何処へいらっしゃるのですか、
何処へ行ってしまわれるのです、
仙千代を置いて……

 夢の中でも信重を求め、けして追い付けないのに、
懸命に駆けている。

 置いていかないで、お願いです、連れていって!……
お慕いしているのです、勘九郎様を、勘九郎様だけを……

 信重は一度だけ振り向き、柔らかな笑みを見せると、
二度と振り返らずに仙千代に背を向け、
どんどん先へ行ってしまう。

 お詫び致します、仙千代が罪を犯したのなら、
どのような咎も受け入れます、
だから連れていって、置いていかないで!……

 信重は直ぐ傍に居るようで、ふっと遠ざかり、
駆けても駆けても脚が前に進まない。

 あと一日、あと一夜、共にできるなら、
すべて失ってもいい、
せめて一時(いっとき)、あの日の二人に戻って……

 信重は微笑んでいるような、泣いているような、
不思議な顔をしていた。
 その微笑も涙も、貴く美しく、仙千代は必死に駆けた。

 ああ、もう二度とお逢いできないのか、
あんなに遠くへ行ってしまわれた……

 知らずの間に涙がこぼれ、

 「若殿、若殿……」

 という自分の声と涙の冷たさで目が覚めた。

 「仙千代。斯様なところで寝込んで。
風邪がいっそうひどくなる」

 それは竹丸だった。

 もしや、

 「若殿、若殿」

 と発した声を聞かれたかと思ったが、
竹丸はそれには触れず、

 「感冒か?熱はどうだ?」

 と、仙千代の額に手をやった。

 「熱は無さそうだ。良かった」

 竹丸が安堵を表し、笑った。
 
 仙千代はうわ言を聞かれたに違いないと思い、
涙の分も含め、尋ねられもしないのに言い訳をした。

 「若殿にお叱りを受ける夢を見た。それで涙が……」

 我ながら言語明瞭意味不明だと知りつつ、
竹丸にさえ告げられはしない信重への思いを隠そうと、
下手な小芝居をした。

 「うむ……そうか……」

 「若殿が……」

 またも涙がこぼれた。
竹丸が居ても涙が止まらず、しばらく顔を覆って泣いた。

 「竹、違う、違うんじゃ、ただの悪夢なんじゃ、
だのに正夢のようで、若殿に申し訳なく、それで涙が……」

 いよいよ支離滅裂なことを言いだした仙千代に、
竹丸は手拭いを渡し、
仙千代の「夢」については何も触れなかった。

 「……喉の痛みや咳は?」

 「まったく無い。先ほどだけ、ちょっと……気分が悪かった」

 竹丸が、温めた甘糀酒を差し出した。

 「飲め」

 「かたじけない……いつもすまぬ」

 「仙は儂の弟。かたじけないことなどあるものか」

 「うん」

 両手を暖めるようにして、器を持って、
甘い酒を有り難く少しづつ口に含んだ。

 「あの者は?……」

 竹丸にはそれで通じた。名を呼ぶことは辛かった。

 「ああ、若殿の御小姓か?
部屋をあてがわれ、もう落ち着いた。
今日は早く休めと謁見の間で別れ際、若殿が仰っていた」

 今夜は夜伽はしないのか……

 既に他の日に契りを交わしているかもしれぬのに、
今日の今日は二人の間にそれが無いのだと思うと、
今、この瞬間だけは気が楽になる。
 心の狭い人間だと思いつつ、それが本心だった。

 「竹」

 「ん?」

 「あの者は、よほど若殿の寵愛が深いのだな。
やって来て直ぐに部屋を貰って……」

 「部屋については殿の思し召しだと聞いた」

 「町人の子が小姓になるとは珍しい」

 「うむ。それは……まあな」

 仙千代が酒を飲み干すと、竹丸は器を受け取り、

 「若殿にも若殿の御事情がある。
あの殿の後継として生きる運命(さだめ)……
どれほどの重圧と闘っておられるか。
儂なら一日ともたぬ。
大変な孤独を抱えておられるに相違ない。
御小姓の二人や三人、若殿御自身で選びたくもなろうもの」

 竹丸の言葉にぞっとした。

 そうか、この後、若殿の御小姓は増えていく……
年嵩の者が抜ければ次に新しく補充され、
その者達は若殿御自身がお選びになる……
初陣を済ませ、若殿はもう大人でいらっしゃる……

 「あの者一人に驚いておっても……
遠くない先、また次の者が来る」

 竹丸の言う通りだった。

 「とはいえ、儂達がすることに変わりはない。
殿に衷心よりお仕えし、懸命に働くことだ。
殿に誠心誠意ご奉仕申し上げる。
それ以外、どのような道も選びようがないのだから」

 仙千代は頷いた。
竹丸の言うことが正解だった。

 どのような道も選びようがない……

 この言葉が深く胸に刺さる。

 「仙千代に障りがないのなら、しっかり湯殿で身体を温めて、
その後、殿の御館へ来るように、仰せつかった。
大丈夫か?お断り申し上げるなら伝えに行くが」

 それこそ、お仕えし、御奉仕するということだった。
昼夜無く尽くすことが小姓の本分だった。
もう今は我儘を言わないと決めている。
先ほど、謁見の間で信長の言葉に甘え、席を外したことも、
私情を交えた自分が恥ずかしかった。

 「いや、大丈夫。風邪ではないから……」

 仙千代が立ちあがると、竹丸が、

 「無理はするな」

 と言った。

 「無理はする。無理をしなければ成長はない。何事も」

 仙千代が笑って見せると、竹丸も笑い返した。



 


 








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