第47話 宇治川 

文字数 1,104文字

 岐阜へ帰った仙千代は興奮がなかなか収まらなかった。

 初の遠征では刻々と姿を変える伊吹山に感動し、
近江の大湖(おおうみ)を見、広さにただ驚いて、
知恩院では法然上人の霊廟に参らせてもらい、
硝煙の匂いを嗅ぐことすら、なかった。

 今回は、戦場(いくさば)に身を置いて、信長の傍に侍りながらも、
他の小姓共々、手隙であれば陣幕を張る手伝いをしたり、
傷病兵の手当てをしたりした。
 まだ数えの十四で身体の充実が足りず、何かと力不足な自分でも、
いつも良くしてくれる御家臣の役に立つことは嬉しかった。
 ただ、討ち取られた首級がずらり並んだ様を目の当たりにした時は、
嘔吐を催し、何とか吐かずに堪えたものの、
その日は水以外、喉を通らなかった。

 足利将軍が籠る真木島の城を織田軍が四方から攻め立て、
銃弾の音が響き、諸将や兵の大音声(だいおんじょう)が鳴り、
やがて城の外構えを打ち壊す音がしたと思ったら火が放たれて、
炎と煙が上がった。
 そこには人が居るのだと思うと、
現実には木が焼ける匂いだけであるのに、
肉が焦げる臭気を嗅いだような気がして、仙千代は奥歯を噛んだ。

 そして、何より、
これほどに生というものを意識した日々はなかった。
縹渺(ひょうびょう)たる宇治川を渡る時、
勇猛果敢な歴戦の将さえ躊躇する中、信長が、

 「儂の後に続け!」

 と放ち、川へ馬身を踏み出した時、仙千代は一瞬、

 この眺めが今生最後か!南無阿弥陀仏!……

 と覚悟した。

 若き日の信長は舅、斎藤道三の援軍に向かったものの、
道三が既に死しており、尾張へ撤退の際、家臣を先にやり、
敵を背に木曽川を渡り、
殿(しんがり)を務めたというほどの武勇の持ち主で、
宇治川を渡河することにためらいはないかもしれないが、
泳ぎの得意な仙千代ですら、その時は恐怖した。

 信長は屈強な馬廻りを従え、まずは中洲を目指した。
仙千代も彦七郎、彦八郎に囲まれて信長に従った。
竹丸も大柄な小姓仲間と共に泳いだ。

 皆が兜、甲冑姿で、身体が重く、
しかも刀剣を少しでも濡らすまいと掲げ持ったり、
頭に乗せたり、工夫しながら渡る。

 浅瀬を選んで渡っていくが、途中、何ヶ所か、
足が届かない深みもあって、水をしとどに飲んだ。

 中洲で人馬の息を少しばかり整えて、
直ちに再び岸を目指す。

 わずか先に信長が居て、
信長の身に何か起これば命を投げ出すと覚悟を決めているのに、
自分のことで精いっぱいだった。
 渡るのに時間がかかれば敵が打ち寄せてきて、
川は血の海になる。
 仙千代はひとつしかない生命を実感した。
長良川で溺れたが、
その時は信重が仙千代の危機を背負ってくれて、
仙千代はただ意識を失っていた。
 この時は、川の深みに足の感覚が奪われるたび、

 ここで御陀仏か!……

 と、心の臓が縮んだ。

 

 




 

 

 



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