第45話 感傷

文字数 1,373文字

 将軍、足利義昭の不穏な動きは和睦の後も収まらず、
近々必ず反撃を仕掛けてくるとみて、
岐阜城に帰還して数日で、信長はまたも慌ただしく西へ発った。

 信玄の死で武田がどう出てくるか、
武田の領地、信濃と接する飛騨、
美濃を領土とする織田家としては情勢を見極める必要があり、
信重は来たる浅井、朝倉討伐の為、武器弾薬、兵を整えつつ、
いったん、岐阜で留守を預かることに今回はなり、
演習を怠らない日々を過ごした。

 わずか一月(ひとつき)に満たない期間ではあるが、
遠征に伴われ、帰った後の仙千代は、
あどけなく朴訥だった表情に、
元来備えていた純な凛々しさが表になって、
けして見入るようなことはすまいと決めているのに、
ふと気付くと信重は仙千代を見ていて、
未だ強く魅了されている自分に気付くと慌てて目線を外した。

 信長の仙千代への寵愛は、相変わらず、
あからさま過ぎるほどあからさまで、始終侍らせ、
主に竹丸と組ませ、あらゆる場面で二人を重用し、
小姓の中では既に竹丸と仙千代が他を圧倒し、
抜きん出て、出世街道を歩み始めていた。
 昨今の織田家の小姓の中では、
堀秀政の昇進の速さを多くの者が驚きをもって見ていたが、
竹丸と仙千代はそれと同等か、もしかすれば、
その速度を越して上ってゆくことが目に見えて明らかだった。

 信重は、清三郎を召し上げて以降、
三郎とも肌を合わせるようになっていた。
容貌だけでいえば清三郎は好みで性格も悪くないのだが、
武具甲冑以外の話となると、やはり話題が続かなかった。
三郎は未だふくよかで丸顔、腹などはぷっくり出ていて、
まさに子狸という見目形ながら、
陽気で根のない性格が信重の寂しさを紛らわせ、
いつしか褥に召し寄せるようになっていた。

 信重自身が未熟なのだから、清三郎が相手であれ、
三郎が相手であれ、性の指南をするというよりは、
互いに手探りの状態だった。
 であればこそ、いっそう親しさが増し、
臣下であって、親しき友でもあり、
兄弟のような感覚もあり、父が言っていたように、
この裏切りだらけの戦国の世で、
寝首をかかれない関係とはこれなのだろうと、
思うところはあった。

 しかし、仙千代と、三郎達は、やはり違った。
正確な意味で仙千代と一夜を過ごしたことはない。
だが、仙千代ならば、共に居るだけで深い充足を覚え、
些細なひとつひとつが喜びだった。

 仙千代に会いたい……
会って、声を聞きたい……
たとえ仙千代が父上のものであったとしても、
離れているよりはずっと良い……
仙千代に会いたい、たまらなく……

 「あっ、青鷺ですよ!」

 「魚の群れが跳ねた!」

 「母子猿が、ほら、あそこに!」

  津島への行き帰り、
船上で過ごした時の仙千代の屈託のない笑顔が浮かぶ。
そんな仙千代を愛おし過ぎて、

 「仙千代の方が美しい」

 「仙の方がずっと可愛い」

 等などと信重は返し、
流石に仙千代に不思議そうな顔をされたが、
楽しかった思い出が今では苦痛と共に蘇る。

 あれほど傷付け、蔑んだのに、
仙千代は儂を責めず、赦しさえした……
この世では詫びる機会すら、おそらくは無い……
来世なら仙千代に謝ることを許されるのだろうか……

 信重が仙千代を思わない日は無かった。
だが、信玄が没し、将軍が反逆の旗色を鮮明にし、
浅井、朝倉が手強く抵抗を続け、顕如は一向一揆を扇動し、
油断ならない情勢がまだまだ続く。
 信重は感傷を胸に畳んだ。

 









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