第59話 天正二年 元旦(1)

文字数 1,213文字

 仙千代が信長に仕えておよそ二年が経ち、
正月を岐阜で迎えるのは二度目となった。

 この二年は、将軍、足利義昭の追放、武田信玄の死去、
朝倉義景及び浅井長政討伐と、信長にとっては、
天下布武の総仕上げに一歩も二歩も近付いた歳月だった。
 
 目下最大の懸念は、
昨秋、長島の城を陥落させることが叶わず撤退戦となった、
本願寺勢力、つまり、長島一向一揆衆との対決だった。
 織田軍二度目の長島攻めで、
交易、交通の要衝である北伊勢の平定こそ成ったものの、
調略を弄し、船を調達し、海上からも攻め上がるはずが、
思うに任せず、
一ヶ月の遠征の末、信長は大柿城へ退くことに決めた。
 
 谷筋の細い道を行く際、
多芸山で待ち構えていた門徒側は伊賀、甲賀の兵も動員し、
弓、鉄砲を仕掛けてきた。
 やがて悪しくも雨が降り始め、
織田軍の鉄砲隊は力を失い、白兵戦となり、
仙千代は、主君、信長だけは守り切り、
自分はここで死ぬのだと覚悟した。

 この時、仙千代も竹丸も、
生まれて初めて戦闘で刀を抜いた。
だが、信長を取り巻く護りは幾重もあって、
若年の小姓達は屈強な馬廻りに囲まれ、
敵兵と戦うことはなかった。
 それでも死の覚悟をしたことは間違いがなく、
何としてでも信長を守り、
いざ斬り込まれた時には主の盾となる決心だけは変わらなかった。

 殿(しんがり)を務めた長老、林通政(みちまさ)は、
一族郎党、枕を並べて討ち死にし、
冷たい風雨により、下々の人足の幾らかからは凍死者が出た。
惨憺たる有り様で、ようやく夜に大柿へ到着、
翌、神無月の二十六日、岐阜へ帰還した。

 心身共、ぼろぼろになって岐阜の城へ帰った時に、
諸情勢により北伊勢出陣が為されなかった信忠の姿を認めると、
安堵なのか、恋しさなのか、理由の知れない涙が流れた。
 こちらに顔を向けている信忠の瞳に、
感情の揺れを見たような気がしないでもなかったが、
仙千代の期待のこもった勘違いなのかもしれなかった。

 信長はこの時の出征以降、一段と仙千代への引きを強めた。
実際、仙千代が刀を抜いたのは最後の一日、
しかも一刻に満たなかったが、一月(ひとつき)の転戦の間、
仙千代の働きが優れたものであったとして、
扶持がまたも増え、万見家当主である養父(ちち)を抜いた。

 今年こそ、殿は、長島一向一揆衆を成敗し、
亡き弟君の御無念を晴らされるだろう、今年こそ……

 仙千代自身、先の撤退戦では、
時折話した同郷の年若い中間(ちゅうげん)が弓に射られ、
倒れた姿を目の当たりにしながら、
どうしてやることもできず、信長に付き従って退路を進んだ。
 仙千代とさほど歳の変わらぬ若輩だった。
流れる涙は激しい雨と混ざり合い、視界を一段と悪くした。

 その九日後、今度は京へ向かい、およそ一月近く滞在した。
この時は天下の政務の為の上洛で、
負け戦を味わった後であっただけに、
冬だというのに春の花園のようなものにも思われた。
 少しばかりの(いとま)を許された日は、
竹丸を真似て『淮南子(えなんじ)』を手に入れ、
他にも鉄砲術や南蛮渡来の文物に関する書を買い求めた。




 
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