第207話 干柿

文字数 1,610文字

 大和、伊丹への出征準備が慌ただしい初冬の午後、
小姓達は三郎の実家から送られてきた干柿を配られ、
歓声を上げて飛びつくと、三郎が、

 「一人二個までじゃ、三個はならぬぞ、
二個までじゃ!」

 と制し、ほとんどの者が両手に持って、
笑顔満面となり、温かな陽だまりの下、柿を頬張った。

 「三郎の家は柿の木が何本あるのだ。
殿や若殿ら、御一家に献上し、
小姓全員の口にも入り、
柿の木山でも持っておるのか」

 竹丸が干柿を食べつつ、訊いた。

 「まあ、中らずと雖も(いえども)遠からず、そんなところだ。
柿はまったく万能なのだ。
実も美味いが、葉は滋養に満ちて、
熱り(ほてり)を減じ、感冒予防となり、
出物腫れ物にも効能があり、
我が家では茶葉としても使っておるんじゃ」

 「柿の木山」を認めるような口ぶりの三郎だったが、
寒冷期が続き、農民同士の食糧の奪い合いが、
武家の領地の分捕り合戦の背景のひとつであった戦国の世で、
貴重な甘みの干柿が大量に届けられたことは、
息子が仕える主家に対する両親の感謝の念が感じられ、
三郎に対しての親子愛も偲ばれた。

 仙千代は三郎の父母の情けを受け止めながら、
柿の甘さに目を細め、言った。

 「三郎は食い物に詳しいのう。
天下泰平、侍が要らぬ世になっても、
そちらの方で暮らしを立てていかれそうじゃ」

 「以前はしょちゅう腹を渋らせておったが、
家から干した柿の葉を送ってもらい、
煎じて飲んでおったらすっかり快癒し、
今では快調そのもの。柿は天からの贈り物だ」

 冗談で仙千代が言った。

 「三郎に娘が生まれたら、お柿、
息子が生まれたら柿丸とでもするか?」

 竹丸も同調した。

 「それは良い。面白い!」

 三郎も案外、悪くはないという顔をした。

 「腹が渋って出してばかりおるから腹が減り、
腹が減るから食ってはまた渋り。
初陣前、若殿から、
しっかりせい、
腹が痛くて隊列から離れれば危険が増すと、
叱咤の御言葉をいただいたのが良かった。
同時、
家で飲んでおった柿の葉茶を思い出したのも良かった。
厳しくしてくださった若殿に次いで、
柿は命の恩人かもしれぬなあ」

 今の若輩小姓達から見れば、
三郎は織田家嫡男の最側近で、
失敗も挫折も想像だにできぬ輝く存在だろうが、
たった三年前には、
川へ落ちると金槌よろしくズブズブ沈み、
救助の声さえあげられず、
溺れ死に寸前となる失態を犯していた。
 信忠は鷹狩りで、信長を凌ぐ腕前だが、
武家にとっては修練の場でもある鷹狩りさえも、
三郎は腹痛で何度も留守居に回っていた。
 太って動きが鈍く、
腹ばかり下している三郎については、
使い物にならぬということで、
家に帰される恐れすらあったところを、
信忠が三郎の明朗、正直を好み、側に置いたのだった。

 「お柿は仙の息子の嫁、竹の娘は柿丸の(つま)
そんなところでどうじゃ?それで儂らは縁戚じゃ」

 竹丸は明後日の方向を向き、無言無表情だった。
仙千代も同様に他を見て無反応だった。

 「む?何だ?何を二人、黙っておるのだ。
儂の息子、娘、要らぬのか?」

 「要らん」

 「儂も要らん」

 「何ぃーーーっ!」

 三郎は顏を真っ赤にした。

 「その姫御、三郎に似て本来、腹が弱い質ではなあ」

 と、仙千代。

 「柿丸殿が真ん丸顔の金槌というのも、
我が娘が気の毒じゃ」

 と、竹丸。

 「腹は治り、満月三郎でも金槌でもないのだ、
今はもう。知っておろう」

 「さあ?」

 「さあ」

 三郎は怒り、

 「これからは干柿が送られてきても、
竹と仙には食わせぬ!絶対に食わせぬ!
一個も食わせぬーっ!」

 と、二人から柿を取り上げようとし、
その矢先、口に運ばれてしまい、いっそう怒った。

 仙千代も竹丸も笑いが止まらなかった。
ただ、心では、
いつか三人が親戚同士となって、
この日のように干柿を共に食すようなことがあるのなら、
それに勝る幸福はないとしみじみと思った。

 それから数日後、
信長、信忠は西へ向けて出陣し、
仙千代、竹丸、三郎、勝丸も、
大和、伊丹の平定戦に伴われて行った。

 








 

 



 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み