第274話 那古野城(2)

文字数 1,203文字

 「城を盗んだ話だ。
いや、道楽も程々にという訓戒か。
儂が若い頃に住んでおった那古野城は、
元は柳ノ丸といって、
今川家の一族である、
今川氏豊なる人物が築かせた城だった」

 「柳ノ丸という名の城だったのですね。
それを争わずして手中にしたと?」

 「うむ。我が父は、
十才ほど年下であった氏豊に友好的に接近し、
勝幡城に山科言継(やましなときつぐ)や飛鳥井雅綱が
長逗留した際には呼び寄せて、
連日、蹴鞠や連歌の会を催し、
京の風趣を好む氏豊を篭絡(ろうらく)したのだ。
氏豊は大の連歌狂であったということで、
父は氏豊との仲を深める為に歌を利用した」

 山科言継(やましなときつぐ)は既に退官しているが、
かつては内蔵寮(くらりょう)の職に就いていて、
云わば朝廷の金庫番だった。
各地の大名や有力者を訪ね、内裏(だいり)の為に寄付を募り、
見返りに歌や蹴鞠を伝授するという方式だった。
 飛鳥井雅綱は和歌、蹴鞠の宗家で、
現在は子の雅教(まさのり)が後継となっている。

 「平手様の御屋敷にも滞在されたということは、
大殿はずいぶん御寄進なさったのですね」

 「朝廷には随時、献金しておった。
財政難に陥って、
式年遷宮ができずにおった伊勢の神宮に七百貫、
少し後だが最大額では帝に四千貫。
これらの功で父上は信任を得て、
冠位を授かり、尾張で地位を上げていった」

 「四千貫も……米にすれば一万六千石」

 写経や古典を好む仙千代は、
数字にも強く、計算が早かった。

 「今川義元、上杉謙信の何倍もの額だった。
父上は豪快にして綿密な御方であった。
尾張一国の支配すらしておらぬ一奉行家の分際で、
左様な大金を貢ぎ、何をなさろうとされていたのか、
今になり、父上の面白さが一段と味わい深く思われる」

 「氏豊殿は、
大殿の策略に終ぞ(ついぞ)気付かず?」

 「そうだ。最後の最後まで」

 「最後とは?」

 「城を這う這うの体(ほうほうのてい)で逃げ出す、
その一瞬まで……
いや、城外に出ても、
尚、気付かずにおったのやもしれん。
それ程に父上の手並みは鮮やかだった」

 今川家が熱田台地に築いた城が、
一夜にして織田家のものになった話を、
仙千代も薄っすらと耳にしていたかもしれないが、
詳細は知らなかったようで、
聞きながら、目の色が違った。

 「仙千代が左様に聞きたがるなら、
調略戦の講義にこれも入れねばならぬな。
若君達にも小姓にも良い学びとなる」

 「今川家へ人質として向かっていた幼い徳川様を、
大殿が(はかりごと)弄し(ろうし)
尾張へ連れ入れられたという策戦は、
教えられております。
大殿は、城といい、一国の御嫡子といい、
盗まれてしまわれるとは、
泥棒も泥棒、大泥棒でいらっしゃるのですね」

 「儂はその大泥棒の子じゃ」

 仙千代の物言いに、つい信長も乗った。

 仙千代が微笑む。
揺らめく灯りに長い睫毛の影が落ち、
清らかな口元が笑んでいる。
 目の前に居る仙千代の唇を、それこそ盗み、
我が物としたい思いに駆られたが、
今それをしたなら、
窘められる(たしなめられる)ことは目に見えていた。

 信長は仙千代の腰あたりを撫でるにとどめ、
神妙な顔を装って、話を続けた。





 

 






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