第334話 離れていた一夜(3)

文字数 1,266文字

事と次第で話に縺れが生ずるのなら、
信忠は仙千代に助け舟を出さないでもないと思っていたが、
まったくの杞憂であって、
信長は仙千代の行く末を案じ、
何処までも周到に先々の絵を描いていた。

 ここで、信長に侍っていた池田勝九郎が気を利かせ、
虫押さえに握り飯と香の物を小姓に運ばせた。

 仙千代も彦七郎も恐縮し、
握り飯は有り難く持ち帰って頂戴すると言ったが、
信長が直ちに食せと命じた。

 主君父子の前で臣下が飯を食んでいるなど、
通常であれば有り得ないことだった。
 だが信長は、
幾重にも複雑な縁戚関係を結ぶ
池田恒興の子である勝九郎の「機転」であれば受け容れ、
機転で恩恵を受ける先が仙千代であれば、
内々の顔触れであるせいもあり、
機嫌の良さ、
言い換えれば甘い顔を隠すことができないでいた。

 時を経るにつれ、
仙千代への寵愛が落ち着くのかと思いきや、
信長の仙千代に対する贔屓、
特別視は濃くなっていて、
薄まる気配はまるで感じられなかった。
 容色を見初め、手に入れた美童であったはずが、
人柄卑しからず、聡く、可笑しみもあり、
欠点といえば、
慎ましやかさが過ぎて消極的に振る舞いがちなことだったが、
立場を自覚した昨今は奮起が見えて頼もしかった。
 信長と二人だけの仙千代を知らない信忠には、
想像の域はそこまでながら、
それだけであっても十二分に強い魅力で、
後は加点が増すばかりの仙千代なればこそ、
新旧の他の側近を抜き、
信長がここまで寵愛するのに違いなかった。

 仙千代より先に信長に仕えた小姓達は、
竹丸を除き、既にほぼ、出世競争で脱落していた。
 賓客を迎えての謁見、秘密裏の談合、
大規模な軍議など、
信長が側に置くのは必ず仙千代で、
あと一名はこれもまた信長の気に入りの竹丸だが、
今や作事に生きる道を見出して、
熱心に取り組む竹丸が不在であれば、
竹丸の席は勝九郎が代わりを務めた。
 勝九郎は信長の乳母の長子の嫡男で、
信長の父がその乳母を側室とし、娘を産ませたことから、
敢えて贔屓を示す必要はない身内に当たる。
 仙千代、竹丸に至っては、
世代が上になる秀政の同輩達さえ、
立場で追い付き、重用の度合いで追い抜くことは、
目に見えていた。

 可笑しなもので、
信忠や兄弟、つまり信長の実子たる男子達は、
信長の厳しい目に晒され、
織田家の躍進を担い、
主君たる父に仕える臣下としてのみの生だった。
 記憶に無いような幼い頃は別として、
物心ついた後には父は威厳の象徴で、
甘えるなどは考えられもしなかった。
 それでも異次元の扱いを受けた信忠は別として、
それより下、三人、四人ぐらいまでの弟や妹はまだしも、
尚も下の兄弟姉妹となると、
名の付け方さえもどう贔屓目に見てもぞんざいで、
父が果たしてどれほど子として顧みているか、
甚だ怪しい弟妹達も居た。
 父にとって、血を分けた子と、
小姓ではまったく異なる存在だと分かっていても、
子よりも長く共に過ごし、近くに置いて、
直に育てる小姓、しかも特別に秀でた小姓は、
織田家の血脈を繋げ、護る為にも、
けして軽んじられるものではなく、
ある場合には、
子よりも親い(ちかい)存在なのだった。



 
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