第265話 氏真 来訪(4)

文字数 1,517文字

 「上様と申したか」

 「確かに仰せになりました」

 仙千代は見たまま、耳にしたままを伝えた。

 各国の大名や武将達、織田家の家臣も幾人かは、
信長を上様と呼んでいる。
 一昨年、恩ある信長に反旗を翻した足利義昭は、
敗北を喫した後に、
信長が尚、赦そうとして諭そうが離反を止めず、
西へ落ちのびていった。
 その時点で幕府は滅亡し、
信長が武家の棟梁となった。
信長の上に位置する武人は居らず、
足利政権は二百四十年の歴史に幕を閉じた。

 信長を上様と呼んだ今川氏真(うじざね)を指し、

 「弁えて(わきまえて)おられるということでしょうか。御立場を」

 勝九郎が言った。

 「さあな」

 信長の響きに侮蔑があった。

 仙千代は信長が氏真を蔑んでいるとあらためて思った。
例えば長島で刃を交え、
信長の多くの血脈を奪った敵将、
日根野弘就(ひろなり)や大木兼能(かねよし)に対しては、
自軍に引き入れることを当初こそ拒む姿勢を見せたものの、
二人に怒りの感情を向けこそすれ、
侮り(あなどり)の色はけして浮かべなかった。

 信長の気配を察した勝九郎は、

 「燕雀(えんじゃく)(いずく)んぞ鴻鵠(こうこく)の志を知らんや……」

 と呟いた(つぶやいた)

 「難しいことを知っておるな、勝」

 「はっ、つい先だって、
小姓同士で桶狭間合戦の話となりました時、
堀様が途中から加わって、
教わったばかりの知識でございます」

 「久太郎(ひさたろう)は寺育ちの故か、
よく学び、唐土(もろこし)の書や歴史にも詳しい。
そこには仙も居ったのか」

 「はい。興しろい話でございました」

 「どのような解釈だ」

 「貧しい小作人として働いていた男が、
秦に支配された故郷を憂い、
嘆いておりましたところ、仲間達が笑い、
お前のような雇われ百姓に何ができようかと、
嘲笑った(あざわらった)のでございます。
陳渉(ちんしょう)というその男は、
(つばめ)や雀のような小さな鳥に、
(おおとり)(くぐい)のような大きな鳥の気持ちが分かるだろうかと溜息をつき、
小志も抱けぬ者に大志を抱く者を理解することはできない、
と言ったということであります」

 「その教訓は、幼い頃、
平手の(じい)から繰り返し、聞かされた」

 織田家中が、信長か、弟の信行か、
家督争いに揺れる中、
信長の奇行とも映る行状を案じた傳役(もり)の平手政秀は、
信長を諫める為に腹を召し、
ひたすらに信長を護り育てた忠義の名臣だった。

 「仙千代が申しますように、
実に興味深く聴き入りました。
陳渉は秦に対して初めて反乱を起こした人物で、
一度は楚の王となり、
結局は失敗して天下を取ることはできず。
なれど歴史家の司馬遷はそうした行動を高く評価し、
諸侯の記録に入れたのだということでございます」

 この歴史的事実を『史記』に著した司馬遷もまた、
父子二代で膨大な史実を調べ、
書き繋ぐという執念を持って生涯を貫き、
二代目の司馬遷は政争の時代、
友を庇って帝の逆鱗に触れ、
宮刑、つまり去勢という屈辱を味わいながらも
意志を貫徹した人物だった。

 年長の近侍である秀政から教えられた歴史譚は、
仙千代には非常な訓戒となり、
年若い小姓達には、
小身の尾張を強大な今川家が呑下(どんか)せんとした時、
籠城も臣従も良しとせず、立ち向かった信長は、
戦国の世の賜物だと、輝いて映った。

 「儂の居ぬ場で儂を上様と呼ぶ小知恵なんぞを働かせるより、
親が奪われた宗三左文字(そうざさもんじ)を如何に取り戻すか、
そちらに注力すべきなのだがな、本来は。
桶狭間の後の右往左往ぶりを見てもあの男の底は知れておる。
ある時期からは寵臣に政務を任せ、風流三昧。
歌や茶に賭ける熱を、領地を取り返すべく、
戦に向ければ今が違ったであろうに、
尼御台(あまみだい)と言われた辣腕の母親が死すれば程無く徳川に降伏し、
武将として国を負う才覚も意志もない。
生まれし時を違えた(たがえた)ような男だ」

 暫く前にも氏真は信長に名物の香炉、千鳥を献上している。
義元が大切にした名刀 左文字を奪還するどころの話ではなかった。




 
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