第43話 揚羽蝶

文字数 1,151文字

 卯月三日、織田軍は洛外に火を放ち、その上で、
足利義昭の返答次第では和睦をしても良いと伝えたが、
将軍方が聞き入れなかったので攻撃が続けられることとなった。

 織田軍は翌日、二条の将軍御所を包囲し、
上京の町を焼き払った。
ようやく将軍は守り切れないと諦め、
和議を申し入れてきた。
 正親町(おおぎまち)天皇の仲介もあって、信長はこれを了承し、
六日、庶兄、織田信広を派遣し、和睦成立の挨拶をさせた。

 七日、信長一行は京を引き上げ、守山に陣を移した。
直接、東近江の百済寺(はくさいじ)へ進軍すると二、三日駐留した。
 
 この頃、百済寺に程近い鯰江(なまずえ)の城に、
信長と敵対する六角義賢(よしかた)の子、義治が立て籠っていた。
 信長は、これを攻める軍勢として、
柴田勝家、丹羽長秀、佐久間信盛、蒲生賢秀を命じ、
四方から包囲して対峙させた。
 百済寺は鯰江城を支援し、一揆勢にも協力しているとのことで、
十一日、信長は百済寺を焼き討ちにした。
 堂塔、伽藍、坊舎、仏閣、すべて灰燼に帰した。

 信長が采配を振るう様を、この旅で仙千代は日々、
間近で目の当たりにした。
 小姓として、いつ何時、
何を言い付けられても間に合うよう、信長の背後に侍って控える。
 
 信長の独特な感性によって仕立てられた陣羽織が、
美丈夫な姿に映えた。
 
 背中一面を覆うのは、山鳥の黒い羽根。
その中央には、白い羽根を一本ずつ植え付けた、
平氏の代表的な家紋、揚羽蝶が、
羽により背面いっぱいに描かれている。
 この時の信長は、武家政権は、
源氏と平氏が革命的に交代するという源平交代説を採っていて、
帝や将軍から賜った家紋も含め、
七種類持っているの紋の中でも、特に揚羽蝶を用いていた。

 着物に模様を描くというと、一般的なのは織物や刺繍だが、
信長の鳥毛で模様を表すという発想は、他の武将では見られない。
また、腰から上と下で、大胆に切り返されていて、
腰上は麻地に虹色に光る山鳥の黒羽根を一本一本差し込み、
縫い付けてあり、
襟には(まだら)の入った羽根を横並びに植え付け、
縁取りに二段重ねの襞が付けられていて、
信長の南蛮趣味が見て取れた。

 美しい装束の信長が、焼き討ち、殲滅、灰に帰させるという、
戦の実相と言うべき指令を放つ。
 一方で、居している陣は知恩院はじめ、
多くが各地の名刹、大伽藍だった。
 仙千代自身、何かといえば般若心経を写経して、
「南無阿弥陀仏」と心で唱える。

 まさに、矛盾だらけだった。
 そして、矛盾を乗り越えなければ、
平らかな世の訪れもないのだと仙千代は考えるようにした。

 殿が掲げられる天下布武、その完成まであと一歩……
殿の船は出帆し、激しい嵐や厳しい風雪を耐え、
幾年月の艱難辛苦の末、ようやく港が見えてきた……
その船に乗せていただいた儂は幸せ者……
そのはずじゃ……

 百済寺成敗を終え、信長一行は同日、岐阜へ帰還した。







 
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