第28話 成長(2)

文字数 1,581文字

 「申してみよ」

 「悪漢に出会って、
手を後ろに回して打たれながら叫んでいるなど、できませぬ。
名誉を傷付けられれば立ち上がります。
しかし、城中での喧嘩は御法度。
帰り支度は済ませております」

 「帰り支度?」

 「はい、行李に荷を詰め、家に戻る支度でございます」

 独特の穏やかな声で落ち着いて話し、
信長の顔をしっかり見ていた。
 目の縁が切れ、頬は紫で、唇が切れていても、
仙千代が美しく映るのは愛情の故かとも思うが、
やはり、秀麗な面立ちは傷の一つ二つでは、
隠しようもないものだった。

 行李に荷物を、もう詰め終わって?……
何たる奴じゃ、まったくもって面白い!……
恍けて(とぼけて)いるのか、極めて聡いか、どちらなのだ……

 大真面目な仙千代が可笑しくも、可愛くてたまらない。
怪我の具合も気になって信長自ら薬を塗ってやりたいぐらいだが、
ここは威厳を崩すわけにはいかなかった。

 「うむ。若殿が決められた御沙汰も同様じゃ。
仙千代が申したように皆、家へ帰れ。
尚、これは仮初め(かりそめ)の決定ゆえ、
改めて正式な沙汰は追って書状を遣わす。
皆、怪我の手当てを済ませ次第、家に帰って蟄居しておれ」

 咎を受けた全員で平伏し、順に部屋を出た。

 少し前、仙千代は、家が恋しい、帰りたいと言い、
信長の胸で泣いていた。
 その後に、何を思ったか、強く抱き着いてきて、
傍に置いてほしい、何処も行く場所は無いと叫んで、
口づけてきた。
 信長自身は奔放に過ごした思春期だったが、
小姓や息子達を見ていると、
心理が揺れ動く微妙な年頃だということは理解していて、
精神の落ち着きを取り戻せるのならしばらくの間、
仙千代が家に帰ることは致し方ないとも考えて、
表面上は謹慎なのだが、実際は、余暇を与えたようなものだった。

 小姓頭と竹丸が小姓達を医師のもとへ連れてゆき、
部屋は父子だけとなった。

 「仙千代は、やけに準備が良かったな。
帰り支度まで済ませておるとは。
あの面白味、つい、ほだされる。
今回は打ち首になるとは思わなかったのか」

 「刃傷沙汰ではありませぬ故、謹慎かと踏んだのでしょう」

 信長は今ふたたび、仙千代の将来に期待を寄せた。

 仙千代の数年先が楽しみだ……
激しいものを持ちながら棘がない……
聡さを慎ましさが覆い、嫌味がない……
適度な可笑しみも人を大いに惹き付ける……
取次、接待饗応、検使、軍監、こなせぬ役は無いほどだ……

 仙千代への強い愛着を、
その仙千代に今では見透かされていると信長は思った。
しかし、けして不快ではなかった。
むしろ今まで思いの深さが届かず歯痒いばかりの日々だった。

 三人組は二度と岐阜の城に戻す気はない。
無能なただ飯食らいもいいところで、けしからんとは思っていた。
その三人よりもよほど家格が高い竹丸が、
重臣、長谷川与次の唯一の子でありながら小姓となって、
懸命に務めを果たしている一方、三人は怠惰が過ぎた。
三人はいずれも男子の多い家の生まれで嫡男ではない。
鶴首となったこの後は他家へ養子に出るか、
部屋住みか、そんなところだろうが、
信長の子とて、信重以外は長じれば外へ出している。

 おのれのした仕打ちが高い税となって返った、
そんなところか、あの三人は……

 今回の騒動を上手く使い、無用の長物を排除でき、
信長は爽快だった。
 三人の家にはまだ男子が大勢居る。
いずれ、沙汰の書状を送った折に、入れ替わり、
弟達を小姓に召し上げる。
さすれば織田家との仲に綻びはない。
信重の提案の通り、信長は事を進めた。

 今朝、やり取りの間、信重は顔色がまったく変わらず、
感情を読み取ることはできなかった。
 以前は、何を考えているのやら、木偶(でく)なのかと怪しんだが、
今ではそれが頼もしく映る。
 信重の提案にはまだ続きがあって、
それこそ、いかにも若い信重らしいものだった。

 仙千代は身の回り品を携え、帰っていく。
しかしもう、城に戻る日を信長は心待ちにしていた。





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