第37話 伊吹山

文字数 716文字

 予定通り、信長一行は弥生二十五日、京へ向かい、旅立った。

 今回の京での陣となっている東山の知恩院に、
六日後に到着の予定だった。
 山道が多いが、度々上洛する信長の為、
ほとんどの道は整備されていた。
甲冑など重い装備は先遣隊に持たせてあって、
道程はいわゆる旅装だった。

 仙千代は、故郷の尾張、岐阜の城がある美濃、
二つの国から出たことがない。
 真っ平らな西尾張に生まれ育って、
山といえば、すべて他国の山だった。

 信重と出会った日、何処の誰かも知らず、
三宅川の堤で二人で並んで座り、
まだ奇妙丸だった信重がつぶやいた言葉を思い出す。

 「四方の山々が尾張を飾る屏風のようじゃ」……

 今の仙千代はその山々へ向かっている。
岐阜を西へ北上すると、伊吹山が近付いてくる。
関が原から眺めた朝の伊吹山は、
陽を浴びて山肌が真っ赤に染まり煌めいて、神々しかった。

 伊吹山は修験者の聖地であり、
『古事記』には日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の物語が記されている。
 聖なる山に向かい、仙千代は手を合わせ、拝んだ。

 御縁をいただいて、こちらに参ることができました……
 ふたたび、拝ませていただける日がありますように……

 信長は南蛮人から入手した薬草を栽培する為、麓に菜園を作り、
伴天連が自国で用いていた三千種もの薬草を移植させていた。

 殿は、比叡山焼き討ちを強行されるなど、
底知れぬ恐ろしさを持つ御方、なれど、民を思い、
街道を整備され、関所を廃し、薬草園をお造りになる……
どの御顔も殿で、殿は様々な御顔を持っておられる……

 仙千代が知る岐阜での信長ではない信長を、
道中では肌身で感じ、
心の奥では信重を未だ激しく恋慕しながら、
信長という存在も仙千代の中で日増しに大きくなっていた。

 



 

 


 

 

 
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