第4話 竹丸の手紙

文字数 1,496文字

 信長、信重父子が北近江へ出陣した後、
仙千代は居残りの小姓達と、信重の弟達の世話をしたり、
武術や文事の講義を受けたり、御家来衆の手伝いをしたり、
大きな変化はなく日々を送った。

 常に信長一行と岐阜との間で、
情報のやり取りが為されているので、
小姓達も逐次、留守居の家臣から戦況は知らされていた。

 聞けば、浅井勢は勇猛な織田軍により次第に手薄となって、
戦況は我が軍に有利に動いていること、
信長の命により、虎御前山に新たな城を普請して、
見事な出来栄えに仕上がったこと、
座敷から見渡せば、
浅井、朝倉が籠城している高山の大嶽(おおずく)が一望に出来、
堅固な守備も丸見えだということだった。

 流石に殿だ、城の構築をお命じになり、
敵の動きの一部始終を眼下におさめ、動きを封じる……
 此度こそ、
浅井、朝倉討伐が間もないことは間違いない……

 籠城は、味方が援けに来なければ勝機はない。
幼い仙千代にすら、今の浅井、朝倉に、
戦を遂行するだけの余力があるとは思われなかった。

 現地から書簡が岐阜へ送られてくる時、
たまに竹丸からの手紙(ふみ)が紛れていた。

 それは、仙千代には宝のようなものだった。
キビキビとした筆遣いの竹丸の手紙には、自身の近況、
信長の印象深い言動が記されているのと同時、
彦七郎兄弟、三郎、そして信重の動静も認め(したため)られていた。

 彦七郎、彦八郎は体躯が良く、惜しまず動く性分から、
時折、信長の許を離れ、
諸将の下に付いて、戦の場での雑役を担ったり、
虎御前山の築城現場で人足達の指揮を手伝ったり、
大いに重宝されているということだった。
 竹丸は信長の近侍としての毎日で、身の回りの世話、
護衛、取次などが主で、
新たに普請が成った虎御前山の城からの移動がない今、
本人曰く、
岐阜に居る時よりも暇な日すらあると書いていた。

 仙千代にとり、
最も動向や安否が気になる信重については、
常に信長に付き従い、様々に学ばれ、
頗る(すこぶる)御健勝という趣旨のことが毎回だった。
 三郎は信重の「愛童」ということで、
流石に自覚が芽生えたものか、今では食欲を慎んで、
お陰でいくらか痩せ、腹痛も減ったという。

 三郎のくだりでは、仙千代は笑ってしまった。
そして、信重を思い、胸が苦しくなる。

 お変わりなく、元気でいらっしゃるんだ……
 ああ、お会いしたい……
 声を掛けられず、見てもらえなくもていい、
 お声を聴きたい、顔を見たい……

 しかし、時に寝られない夜、
局所に手をやって、自分を慰める時、
思い浮かべるのは信長との褥だった。
 そして情けないことに、最後は信長と信重が入れ替わり、
果てる時には勘九郎様と口をついて出てしまう。

 もう信重との間には、
甘い出来事は何も上書きされないと分かっているのに、
欲を満たす時には信重を思い、名を呼んでいるかと思うと、
情けなさと惨めさで圧し潰されそうになる。

 いつになったら諦められるのか……
 諦められる日はやって来るのか……

 まったく目の前から居なくなるのなら、
まだ忘れられるのかもしれない。
 だが、常であれば、信重は、同じ場所に居て、
姿を見ない日は無いほどだった。
 どうかすれば、鵜飼いの夜のように、
真横に座して、酒を注ぐことさえ、ある。
 いや、湯殿で裸体を目にすることも、無いではない。
 このような状態で、諦める、忘れるなど、
とうてい無理なことだった。

 若殿は松姫様を今も大切に思っておられるはず……
そして、いつかは本当に、気に入りの御小姓も見付けて……

 信長に尽くすことは信重に尽くすことと同じだと思い、
城に残った家臣から、
務めぶりの熱心さを褒められることもある仙千代だったが、
内心は、割り切れない思いに悶々とする毎日が続いた。

 

 




 









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