第319話 帰郷(7)

文字数 1,347文字

 長子が居るのに二男が家督を継いでさえ、
特殊なことであるのに、
前田利家は四男でありながら荒子城主となった。
 不思議に思いつつも、
長らく仙千代が誰にも問わずにいたことを、
彦七郎は酒も入っていないのに、
相手が幼い頃から目をかけてくれている橋本道一のせいか、
すらっと尋ねた。

 道一も隠すことなく、語った。

 「それはもう、単純な話。
上様は又左が、
お可愛いらしくていらっしゃったのだ」

 利家は通名を又左衛門、又左といった。

 「前田殿には兄君が三人居られたが、
既に一人は病没していた。
前田殿が拾阿弥(じゅうあみ)の殺害で上様の御不興を買い、
織田家を追放の身であった間に荒子城主の父君が他界され、
順当に御長子が跡目を継いだが、
上様は前田殿が織田家に復帰した後、
荒子城主に前田殿を据えた。
嫡子の前田蔵人利久殿は病弱で、子が無く、
養子は居られたが、
城主本人が病を理由に戦に無沙汰であると上様は申され、
その座から下げられた。
しかしそれは表向きのこと。
蔵人殿の病身は上様にはむしろ好都合、
恰好の口実を与えたに過ぎぬ。
又左は、放逐の身で貧苦に喘ごうが、
他家への仕官を考えず、ただ上様の赦しを待ち、
頼まれもせぬのに向かった戦場では、
首級を幾つも持ち帰り、
これが愛しくなくて何であろう。
前田家の兄弟仲は一時、不穏となったが、
最後は兄君二人、鉾を収められた。
前田殿は、上様が浅井、朝倉の挟撃を受け、
命からがら京へ戻られた際も、
必死の警護で上様を護り切り、
素晴らしい働きぶりであった。
あの激戦で殿(しんがり)をつとめた羽柴殿、明智殿も、
見事天晴れであったが、
京へ着いた時に、
上様の周りには数える程の従者しか居なかったことを思うと、
前田殿の奮迅はひときわ鮮やかに映ったものだ」

 金ヶ埼崩れと呼ばれる信長のその撤退戦では、
道一もまた、配下を多く失っていた。
だが、利家、秀吉、光秀らに賛辞を惜しまぬ道一に、
仙千代も彦七郎も、清々しい思いを抱いた。

 「前田殿は上様の御寵愛を授かって、
精進に精進を重ね、今がある。
この後も功績をあげ、
いっそう出世を遂げられるであろう。
御三人も特別な厚遇を受け、ここに至る。
いくら身を立ててやりたくとも、
本人に能が無ければ上様はすくい上げられはせぬ。
抜擢は才ありと見込まれた印。
その思いを便(よすが)にお尽くし申し上げなされよ。
精一杯働けば、結果は後から付いてくるもの。
駄犬が悔し紛れで吠えようが、
高みに上がってしまえば吠える側も諦めましょう。
届かぬ妬みを叫んでも己の孤愁が深まるばかり」

 仙千代が、

 「橋本様の餅つき行事の日を境に、
我ら三人の行く手は、
風向きががらりと変わりました。
橋本様には、
上様との縁を結んでいただいた感謝の念、
強く記銘してございます」

 と告げると、

「実は、仙千代殿はじめ、御三人は、
橋本家の御小姓として、
取り立てたく思っておりました。
が、既の所(すんでのところ)で上様に盗られ……。
あの方が御相手では到底、到底……」

 と、諦め顔で大袈裟に頭を振ると、
溜息を吐いて笑った。

 道一に見送られ、
仙千代と彦七郎、小者二人という四人は、
久方ぶりの家路に向かった。

 彦七郎は仙千代を万見家まで警護し、
仙千代が、

 「後は良いから、
家に早う顔を見せてやれ」

 と言っても、

 「万見様に御挨拶を済ませてからでも、
陽は高うございます」

 と、譲らなかった。








 
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