第187話 月影(1)

文字数 1,812文字

 夜陰の中を城外に出る者は居ない。
 今宵、宴に参じた武将達は夜が深まるまで飲み、
そのまま眠り、日の出と共に起床し、
どうかすれば朝餉を食し、
信長から特段の指示がなければ、
そこでようやく本領地へ帰る。

 酒席がたけなわを過ぎ、寝込む者も出始めた頃、
信長、信忠、共に、もう姿はなかった。

 今日は御役御免となっている仙千代、竹丸、三郎ら、
戦地へ行った小姓達は心身の疲れもあって、
少ない量で酔いがよく回った。

 竹丸は一度、ひどい酩酊を経験して以降、
粕漬程度でも口にしないでいたものを、
この夜は幾らか嗜み、ほろ酔いで、
広間を後にする頃には足がふらついていた。

 仙千代、三郎が両側から、抱えるでもなく抱え、
小姓の宿舎へ連れてゆくと、
竹丸の部屋で褥に横たわらせた。

 三郎が、

 「竹は酒に弱いんじゃなあ。
これだけの秀才でも苦手があるかと思うと、
妙に安心するな」

 と、笑う。

 引き戸の向こうには小さな庭が眺められ、
松の木の上に大きな月がぽっかり浮いていた。

 月影が濃い。

 「ようやく終わった。長島での戦が。
なれど、清三郎は帰ってこられず……。
寂しい。ほんに、寂しい……」

 遠い目で庭を眺めつつ、三郎が呟いた。

 「若殿のお寂しさはひとしおであろうな……」

 竹丸の寝入る様を見ながら、仙千代が漏らした。

 清三郎は町衆の身分でありながら信忠が召し上げた小姓で、
そのひとつをとってみても、信忠の寵愛が知れた。

 「それはもう……
お寂しくていらっしゃるに違いない。
なれど、心を痛めておられる若殿を拝察すれば、
一段と忠義心が湧くのも不思議なことじゃ。
若殿のお嘆きを見るにつけ、
配下の者を大切にする美しい真心に触れるようで、
崇敬の念が強まる。
この御方に命を捧げようと、心から思える」

 三郎は、信長が尾張統一を進めていく過程で、
敗北を喫し、臣従した国士の家の出で、
元来、人質同様の身で岐阜の城へ上がったのだった。

 「いつからそのような覚悟を抱くように?
太って、頭の中は食べることばかり、
しょっちゅう腹を下していた時の三郎が、
そこまで心を決めていたとは、とうてい思われず」

 「仙は口が悪い。
前からそうだったが、今は一段と悪い」

 先ほど、信長に所望され、二人で舞った時、
手にしていた白菊の一輪を、
仙千代がふざけて竹丸の髪に挿し、そのままだった。

 その小菊を三郎は取り、
これもまたふざけて仙千代に投げた。

 「こら!」

 二人で笑った後、三郎は真顔になった。

 「やはり、命を救われた時かな、川で溺れて。
実際には仙が救ってくれたんじゃが、
溺れた仙千代を今度は若殿が救助なさって、
その後も若殿は殿に対して我らを庇ってくださった。
まこと、心の在り様が気高い御方じゃ」

 それゆえに自分は嫌われもしたのだと仙千代は、
またも思い出し、胸が疼いた。
 仙千代は松姫への手紙(ふみ)を盗んだと咎められ、
以降、長島で見舞いを受けたただ一度以外は、
私的な会話はまったくなく、
同じ場に居ても居ないもののように扱われるか、
必要最低限の話をするだけだった。

 ふっと、三郎がこぼした。

 「竹と仙の舞いは良かった。
殿がお褒めになるだけはある。
燥ぐ(はしゃぐ)でもなく、静かな様子が染み入った」

 竹丸は本来が不得意が無く、記憶力抜群で、
例えば舞踊も、
先輩小姓が舞う様を一、二度見たなら、
手振りを覚えてしまうという器用さだった。

 「儂は竹を真似ただけじゃ。
それに、見ただけでは分からんと思うが、
竹が何度か手を強く引いたりして、導いてくれた。
それで、何となく形が整ったということじゃ」

 「誰もが見惚れておった。本当に」

 仙千代にしてみれば、自分は武士だと思えば、
舞いを称賛されても面映ゆさしかなく、
困惑半ばなのだが、小姓の勤めに明確な区切りは無く、
主が舞えと言えば舞うしかないのであるから、
疲弊しきった武将達を癒やし、和ませたなら、
まあ、悪い話ではなかった。

 踊っている間、呼吸を合わせる為、
仙千代はほぼ竹丸を見ていたが、
信長の眼差しが熱いことには気が付いていた。
 竹丸に対してのものなのかもしれないと思いつつ、
小木江城では仙千代が負傷で寝込んでいたせいで、
信長の夜伽は竹丸がほぼ担っていたので、
ようやく怪我が完治しつつある仙千代に向けられた熱なのだと、
やがて、気付いた。
 舞い終わった後、信長から褒めそやされた際、
一瞬、瞳の奥で見詰められ、
そうなれば何を望んでいるのか、伝わった。
それだけで分かるぐらいには共に時を過ごしていた。




 
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