第417話 仙鳥の宴(3)息子達と小姓③

文字数 1,720文字

 未だ鵜飼いを観たことがないという忠次(ただつぐ)に、
信長は機嫌の良さを隠さずに続ける。

 「されば、是非にも見せたいものだ。
(いにしえ)より伝わる妙なる技はまさに見もの」

 「評判はかねてよりお聞きしております」

 忠次は言葉とは裏腹に、
表情の奥に苦みを隠していた。

 「おお、そういえば!
先だって、観覧船の新造が成ったであろう?
のう、仙千代」

 信長に侍る仙千代は、
程好く日焼けし、澄んだ白眼が際立った。

 「はっ、上様の御指図を受け、
南蛮情緒を取り入れた、
興趣あふれる意匠となっており、
進水を待っておるところでございます」

 「うむ!進水式がまだであった」

 「長篠、志多羅の戦いで快勝を収めた日には、
戦の英雄と乗船したいものだと仰って、
初の御乗船を先の楽しみに取っておかれました由」

 「であった、であった。
ここにその英雄が居る。
酒井、岐阜へ遊びにまいれ」

 信長が上機嫌も上機嫌で誘うと、
脇に控えた仙千代は慎ましやかに笑窪(えくぼ)を浮かべ、
竹丸も涼し気に微笑した。

 主君と父の顔色に気付いた酒井小五郎家次は、
何とも不安げな様を隠さず、
新米小姓の井伊万千代は空気の変化に気付きながらも、
経験の浅さから事態の真相を掴めず、
目線が落ち着かなかった。

 「小五郎、弟達は何人だ?」

 「二人にございます」

 信長に答えながらも父親の顔を(うかが)っている。

 「小五郎が十二。
であれば二男、三男は、
ずいぶん年若いのであろうな」

 ここでは忠次が応じた。

 「二男は七つ、三男は六つであります」

 「それは良い。
その歳ならば、
鵜匠の妙技に面白味を覚える年頃である。
鮎の時期でなければ鵜飼いは見られぬ故、
万障繰り合わせ、
是非にも父子揃って岐阜へ参るが良い」

 表面的には誘いだが、
信長が、

 「万障繰り合わせ」

 と言えば「絶対」だった。

 「子ら三人も、
お招きくださるのでございますか」

 忠次の額に斜が掛かっていた。

 「分け隔ては余は好まぬでな。
六つといえば歩き、駆けるであろう。
その者だけ招かずおれば、
後世、余が恨まれる」

 「よもや恨むなど、
滅相もないことでございます」

 言とは裏腹に忠次の色は冴えず、
口調が重かった。

 ここで仙千代が入った。

 「おそれながら」

 「うむ」

 「七つといえば小姓に入る者も居りますが、
幼児(おさなご)の六つは如何にもか弱く、
酒井様の居城、吉田から美濃までは、
流石に道中、長くはございませぬか?
東三河から岐阜への遠路、
末の若君様には御負担が軽からず、
懸念されるところでございます」

 「なあに、一つ違うだけではないか」

 信長が言うと仙千代は、

 「上様が左様に仰せなら、
そうなのでございましょう。
口が過ぎました」

 と即座に引いた。

 父上も父上だが仙千代も仙千代、
田舎猿楽とは言わぬまでも、
たいしたものだ、
(あらかじ)め何処まで決めて、
二人は話を進めているのか、
それにしても滑るが如くするすると、
上手く事を運んでいる、
事実上、主家が織田、
徳川は臣従の身だが、
徳川との仲に綻びは許されず、
すべてに於いて丁寧に扱わねば後が面倒……

 信長、家康、忠次、仙千代を横目に見つつ、
信忠は盃を干した。
 弟 信雄(のぶかつ)、義弟 信康も、
話の行方に目も耳も凝らしている。
 
 要は、
忠次の二男を岐阜に召し出して、
人質とするということなのだった。
 信長と仙千代は、
二男がどうだ三男がどうだと言っているが、
本命は二男であって、
如何にも幼さが過ぎる三男は来れば良し、
来なければそれも良しで、
最初から眼中にない。
 三男まで召し寄せるとは、
気の毒ではないかと仙千代は一芝居うち、
織田家は鬼でもなければ蛇でもないと見せ、
信長は、
いわゆる信長らしさを演じたに過ぎなかった。

 徳川家の権勢は、
小さからず大きからずが良く、
今後、武田勝頼を討伐したなら、
家康は一挙に東国支配を強めることになり、
情勢次第では、
戦国の世で他に例を見ない長年の同盟関係に、
水を差すとも限らない。

 家康の一門衆の長老格 酒井忠次の嫡男は、
既に元服している。
七才、しかも二男は、
人質として頃合いだった。
 東三河 吉田城主の子として、
従者を従えてやって来るに違いないが、
(まつりごと)や軍役からは遠く、
信忠の幼い異母弟(おとうと)達と共に学び、
(よしみ)を交わし、
肌身で織田家のやり方を覚えさせれば、
何事につけ都合が良かった。


 
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