第303話 京の南(6)

文字数 1,352文字

 「河内に散らばっておる三好の城の始末は、
九郎左(くろうざ)がせよ」

 塙九郎左衛門直政(ばんくろうざえもんなおまさ)が、
顎をぐっと引き、頷いた(うなづいた)

 同席している側近で最も席次が低いのは、
近侍の小姓達だった。
 特に仙千代、勝九郎は同輩で、
信長に仕えたことではいちばん遅い。

 信長の声が勝九郎に飛んだ。

 「今、三好が持っておる財といえば何か」

 「はっ、茶道具、刀剣等、名器名物が、
夥しい数に上ると思われます」

 「それは既に儂のものとなったも同然。
儂か地獄の閻魔か、どちらかに渡すしかない」

 勝九郎が足した。

 「長らく三好宗家を支えた武将としての技量、
これもまた、憎々しい程のものにて、
敵ながら天晴れと言わずにはおられませぬ」

 「うむ。それも当たっておる。
仙千代はどうか」

 勝九郎が先に答え、一瞬、窮したが、
尚も尋ねてくるところをみると、
信長には、
康長に利ありとみる他の理由がまだ有るのだと知れる。
 
 仙千代は一呼吸置き、
落ち着いた口調で述べた。

 「阿波国を足場とし、伸長した三好家、
特に康長は水軍を持っております。
水軍はまこと、貴重なものにて、
兵を集め鍛錬を加えたからと、一朝一夕で、
いきなり力を付けられるものではございません。
また伊勢の滝川水軍も、尾張の海賊も、
西へ連れていってどうにかなるものではなく、
さすれば、三好水軍は有用この上なく思われます」

 「うむ!」

 「本願寺が、他国の門徒同様、
毛利領内の安芸門徒をも頼りに、
上様に抵抗を続けておりますことを考えますれば、
毛利の水軍を牽制するにも、
三好水軍はむしろ、なくてはならぬものかと存じます。
三好宗家が滅亡した今、
最後の重鎮、康長殿までも織田が命を奪ったとなれば、
残党は本願寺、及び毛利に流れるは必定。
敵に力を付けさせる悪手となりかねませぬ」

 信長は仙千代に特段の反応は見せず、
松井友閑を見据え、告げた。

 「康長の身は堺の松井屋敷に留め置くが良い。
亡き公方(くぼう)様の仇であることは承知しておる。
幕臣であった身なれば、
割り切れぬ思いがあるであろうが、
故にこそ、康長を預けようかと思う。
本願寺、義昭と通じた康長から、
如何なる話が出るか、楽しみだ」

 「ははっ。
上様の格別なる御計らい、確と(しかと)申し伝え、
この友閑、
康長を抜かりなく見張り、
とりわけ、自刃には厳然たる注意を向けたく存じます」

 「うむ。預かりの身とした後、
勝手に自害されてもな。腹立たしいだけだ」

 「はっ!」

 「康長に関しては逐一、追って、
岐阜へ書状を寄越せ。
亡き義輝公の仇と思うその眼が厳しく観たならば、
間違いのない答えが出るであろう」

 香西(こうざい)殿と十河(そごう)殿が命を差し出し、
三好康長は手足を失った……
康長は、城も兵糧も武器弾薬も渡す用意を済ませ、
あとは己の首だけのはずであったが、
戦国の世は猫の目のように事情が移り変わる……
よもや、三好康長が命を保つことになろうとは……
だが、それもまた、上様の先を見通す慧眼……

 康長を蟄居の上、助命という信長の判断は、
最初、ひどく意外だったが、
意外に受け止めた己の未熟さを仙千代は恥じた。

 真夜中の評定は終わり、
信長は洗面、清拭を済ませ、
長い一日を終えた。

 石山本願寺の落城は時間の問題だと思われた。
 二十一日、信長は京へ帰還し、政務を終えると、
佐和山の丹羽長秀の城に宿泊した後、
卯月の二十八日、早朝、岐阜へ帰城した。



 
 
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