第382話 志多羅の戦い(1)兄と弟①

文字数 1,388文字

 天正三年五月二十一日、
信忠隊は河尻秀隆を副将にして、
野辺神社に陣取っていた。
 
 同母弟(おとうと)信雄(のぶかつ)は、
直ぐ脇の新見堂山に居る。
 兄弟の位置からは、
志多羅の原が眼下に広がっていた。
 
 信長は夜明けには、
織田の前哨部隊と武田勢が睨み合う、
有海(あるみ)を茶臼山本陣から霧の合間に望んでいたが、
やがて、薄日が射し始めると、
徳川家康の居る高松山に移動した。

 鶴翼の陣形を取った連合軍の北は織田、
南を徳川が受け持っていた。
 南は比較的平地が多く、
北は山際に繋がっていた。
 信長の期待のままに勝頼が攻めてきたなら、
南は沼、湿地、北は山間で、
どちらも思うがままの動きは取れず、
武田は正面突撃を試みるしか向かう先は無い。
 南北半里に三重の柵を設け、
段丘を利用して幾重にも堀と土塁を築いた陣城に、
武田軍が無謀な攻撃を仕掛けた挙句、
壊滅するのが信長の描いた図だった。

 秀隆の助言を受けて、隊を率い、
信忠も新見堂山の信雄に合流した。
 兄弟は合戦開始となっても、
けして動いてはならぬと信長に命じられていて、
警護と補佐を受け持つ秀隆が、
信忠隊と信雄隊を一つに合わせたのだった。

 信忠が姿を見せると、
信雄は礼を正して大将の位置を譲り、
自分は臣下の席に降りた。

 「上様がいつの間にやら、
高松山の陣に移っておいでですね」

 と信雄が言い、尚も続けた。

 「茶臼山からの采配を、
とくと見ておけと仰せであられたはずだのに、
忙しく(せわしく)あちらこちら、
指示して回っておられたかと思ったら、
ついには鶴翼の南端まで」

 「うむ」

 「上様は浜松殿の陣までお出でになられて、
何をなさるおつもりでしょう」

 「うむ……」

 おそらく父は、
じっとしていられないのだと信忠は思った。

 一日千秋、
待ちに待った日が今日のこの日なのだ、
上様が物心ついた時には、
既に武田家は広大な領国を有し、
足利、今川と並ぶ武家の名門として君臨し、
美濃、三河、ひいては尾張を、
何時(いつ)呑んでも不思議はなかった、
積年恐れた強敵を打ち砕く日が、
ようやく訪れたのだ……

 織田家が信長の代になって急速に、
版図(はんと)を拡大させた結果のみを見れば、
父は好戦的な武将に映るかもしれないが、
桶狭間のみならず、
それ以前の合戦は、
家督や領地を奪われる危機に瀕して、
押し込まれた挙句の戦いだった。
 庶兄、実弟、義弟、重臣ら、
数多の信じた者達に裏切られ、
幾度も生命の危機に遭い、
命の重さを信長は自らが経験し、
体得している。
 浅井長政を信頼し、寝返りを浴びて、
朝倉義景と長政に挟撃されて僅か十数騎で、
命からがら京へ戻った金ヶ崎の退却戦や、
強雨の中、
奇襲を受けて白兵戦となり、
這う這うの体で落ちのびた第二次長島征圧戦等、
ただ一つの命を守る、これに徹して、
捲土重来を父は期した。

 以前の信忠は信長を、
短気な男だと見ていた。
 確かに気の急く質で、時の無駄を父は嫌う。
だが、辛抱我慢が合理だと思えば、
幾らでもそれに耐え得る人だった。

 この数年、織田も徳川も、
勝頼に勝ったためしが一度と無く、
駿府や美濃で奪われた城や砦は、
二十をとうに超えている。

 その間、信長は今日のこの日を待って、
街道整備から始まって、
陣城構築の為の資材調達等、
根気よく着々と準備を進めた。

 「総大将があのように動かれますのは、
何故なのでしょう」

 高松山の陣に、
厭離穢土・欣求浄土(えんりえど・ごんぐじょうど)」の家康の旗印が掲げられ、
並んで、
信長の「永楽通宝」の馬標もはためいていた。


 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み