第240話 竹の花(1)

文字数 1,743文字

 領国の街道整備に出ていた竹丸が、
最後の仕上げで数泊した後、岐阜へ帰ってきた。

 仙千代も物資の調達や管理の手伝いで、
近場へは、日帰りで何度が出ていた。
 道はどんどん延伸し、
急な勾配はなだらかになり、
大きな岩石は取り除かれ、
道幅は兵が横に並んで七、八人は行軍可能な程に広がって、
入り江や川の橋も増えた。
 また領民や旅人が、
夏の暑さを少しでも凌げるようにと、
道の両側は松や柳が植えられて、
偶さか(たまさか)にしか手伝うことのなかった仙千代でさえ、
街道の出来栄えの素晴らしさ、
領民に対する信長の徳にあらためて感じ入り、
人々が信長に対して、もろ手を挙げての賛辞をすれば、
我がごとのように誇らしかった。

 御奉行衆や竹丸ら、
道の整備の任に当たった近侍達が、
普請の無事の終了と帰還の挨拶を信長にすると、
信長はたいそう機嫌が上がって、

 「湯殿でしっかり温まり、
今宵は美味い酒、酒肴を味わうが良い」

 と労った。

 この度の任務は凍てつく厳寒期の難行で、
重なる労苦がしのばれた。
 奉行の中には、
十才も老け込んで見える者が居るかと思えば、
竹丸のように霜焼けを患う者も居た。

 御奉行衆や伴われていた近侍達の背を流そうと、
仙千代が小姓達に声を掛けると、
手隙(てすき)の者達が賑やかに湯殿に参集した。

 「おお、三郎。若殿の御用は良いのか」

 三郎の姿があった。
 三郎は、信忠の小姓としては、
佐々成政の甥である佐々四郎清蔵(せいぞう)と並ぶ最側近で、
仙千代や竹丸同様、
常はもう、
主の湯あみの世話は勝丸のような若輩に任せ、
このような仕事をすることはなかった。

 「御役目は四郎に任せてきた」

 仙千代は笑顔になって三郎にも糠袋を渡した。

 「実は以前から、
ずいぶん艱難の伴う作事だとお聞きして、
手伝いになかなか参じられぬのを、
心苦しく思っておった。
せめて御背を流させていただければと思い……」

 三郎がそこまで言うと、竹丸が、

 「口は動かさぬで良い、早う背を流せ」

 と催促した。
 
 「長谷川様、お待たせ申した。
では、御背を流させていただきまする」

 おどけた口調で三郎は、
竹丸の身体を糠袋で擦りながら、
時折、手足を揉み解した(ほぐした)
 人をよく笑わせる三郎とて、
小姓勤めは仙千代よりも半年程は先達で、
昔取った杵柄ならぬ、糠袋で、
流石に手慣れたものだった。

 竹丸は、

 「ああ、疲れが失せる」

 と、目を閉じている。

 仙千代は、四人の奉行の一人、
最も上席の坂井利貞の背を流し、肩を揉んだ。

 「ううむ、凝り固まっていたことが、
解されてみると分かりますな」

 仙千代は一小姓に過ぎないが、
信長が始終傍に置いている近習ということで、
利貞は物言いに気遣いがあった。

 「万見殿に斯様にしていただけるとは、
殿に申し訳ないような心地でござる」

 君主と小姓の衆道関係は、
君主にとっては身も心も支配して養育し、
揺るぎない忠誠心を持った有能な家臣の育成であり、
小姓にとっては特別な道筋での教育を受けられ、
将来の出世の可能性が極めて高く、
一族にとり非常に名誉なことだった。
 利貞は、仙千代が遠からず利貞の地位を抜き、
自分が(こうべ)を垂れる位置に成り得ることを予測して
仙千代に接している。
 それを知らない仙千代ではなかったが、
そこで天狗になろうとは思わなかった。
 今の自分はまだ何者でもない。
一介の小姓であって、何も成してはいない。
武士として、奉行として、
利貞の長年の見識、経験には敬意を表するのみだった。

 「あくまで背は背、流させていただく手も手。
殿も坂井様も御背に変わりはございませぬ」

 仙千代は城に来た当初、
利貞には他の小姓衆と共に、
和算をいつも習っていた。

 「仙千……いや、御無礼致した、
万見殿は変わりませぬな、
その心根を、
殿も憎からずお思いになられるのでいらっしゃいましょう」

 「左様な仰り様。
あまり気遣いされますと、
ますます増えましょうぞ、白い毛が」

 「あれ、あんがい憎たらしい。
誉め言葉は引っ込めまする」

 湯殿に笑い声が上がった。
 童と言っても良い年若い小姓達も、
遠慮がちに笑顔を見せた。

 酷寒の二ヶ月を、
街道整備の日々に費やした奉行衆や近侍が、
温かな湯殿で心のこもった世話をされ、
疲れを癒したならば本当に良かったと、
仙千代は数年前の自分の姿を見るように、
後進の小姓達に目を細めた。


 

 





 

 


 



 

 



 
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