第114話 秀政の苦渋

文字数 1,009文字

 仙千代は心中で、独り言ち(ひとりごち)た。

 しばらく前、
若殿の御命令で尾張の善勝寺が焼かれたが、
あの焼き討ちが強訓戒となって、
尾張と美濃ではひとつの一揆も起こっていない……
 歴史ある大伽藍が焼失したことは惜しむべきだが、
織田家の足元で一向蜂起が成れば、
殿のお怒りはいかばかりか……
若殿の御判断は正しかったと言わざるを得ない……

 秀政に伴われ、仙千代は竹丸と共に糾問使として、
善勝寺に出向いていた。
 信忠の質しは如何にも難癖めいたもので、
後日、信忠の主導で寺が焼かれた際は、
はっきり言って、割り切れぬ思いが仙千代にはあった。
 しかし、その結果、
織田家の本領地は安寧が保たれている。

 秀政は迷いのない様を崩さなかった。

 「本来の真宗門徒は、ただただ念仏を唱え、
一身が浄土の蓮池に迎えられるを願うもの。
武器を手に取り、女子供を盾にするとは言語道断。
一日も早く真宗が正道に戻り、
殿の御威光の下にひれ伏すを望むばかりでございます」

 小姓として取り立て、
今も側近として引き立てている秀政に、
信長は労いの言葉を掛けた。

 「我が臣下に、真宗の者どもは少なくない。
それは儂もよう知っておる。
久太郎はじめ、
例えば勝三なども親の代からの熱心な信徒。
今は苦しいだろうが、いずれ、顕如が降伏をし、
和睦となれば、その時こそ、談判、調停と、
久太郎達、織田家の中の門徒の出番。
今はとにかく辛抱じゃ。
辛抱耐えかね、樋口のようになってはならぬぞ」

 勝三とは森長可(ながよし)の通名だった。
長可は亡き父、可成(よしなり)はじめ、
母の妙向尼も真宗の熱心な信者らしかった。

 「ははっ!有り難き御言葉、身に沁みまする!」

 他の家臣には、まず発しない信長の心情の吐露だった。

 殿も好きで根切をされるのではない……
むろん、信興様の復讐を果たす思いはおありであろう、
なれど、鬼にならなければ戦は永遠に終わらない……

 再び首桶に収められている樋口直房とその正室の首を、
信長の命で、仙千代と竹丸は、
書状のやり取りでやって来ていた三郎、清三郎に渡した。

 「総大将様が、副将様や御歴々に御披露するよう仰った」

 と竹丸が言い、仙千代も続けた。

 「あとは、一向宗の願証寺へ届けるように」

 実検の済んだ首は丁寧に葬られるか、
敵方へ返すことが習わしだった。
樋口直房は敵ではないが、真宗門徒として動いた上で失策し、
命を落とした。
願証寺に首が届けられれば、
真宗門徒として遇されることは明らかだった。




 

 

 

 

 

 

 

 

 



 

 

 




ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み