第232話 鷺山殿と日根野弘就(7)

文字数 1,304文字

 信長、信忠、鷺山殿は茶室に入り、
凍った滝、池に落ちる雪を味わいながら、
名物の織部を堪能した。

 仙千代は疑問を抱いていた。

 日根野弘就(ひねのひろなり)の件はどうなったのか……

 三人が茶室に籠っている間、
秀政、仙千代、竹丸は、暫し、別室に侍った。

 「久太郎様、何やら殿は、
風向きを急に変えられたようにお見受け致します」

 仙千代に問われた秀政は、

 「若殿が鷺山殿に示唆されたのだ」

 と答えた。

 竹丸がハッという顔をした。

 「ありありと近くという、あの台詞!」

 「そうだ、それだ」

 仙千代もそれで悟った。
 弘就の妻は、
美濃源氏土岐氏支流を称する金森家の出で、
甥には信長の父の代から織田家に仕える、
金森「可近(ありちか)」が居た。
 可近は信長の美濃攻略で功績をあげ、
俊英集団である赤母衣衆(あかほろしゅう)に抜擢されて、
以後一貫し、信長の強い信を得て、
織田軍の中で盤石の地位を築いていた。

 ありありと近くで雪を……
若殿はそう仰った……
(あり)(ちか)を用い、
可近様を表しておいでだったのだ、
鷺山殿に加勢する為、
若殿はその名を暗示し、口に為さった……
鷺山殿は若殿の真意を受け止め、
殿も最後は、
可近様が眼を光らせるなら日根野殿に、
危険はないと判断された……

 弘就は一門衆を率い、主君に従い、奮迅し、
乱世の武運拙く敗け続けては同盟先に落ちのびて、
流浪を重ねた挙句、
いよいよ天下の趨勢は織田家に傾き、
信長に降りる道を選んだのだった。

 日根野一族が織田家に参集するのなら、
閨閥で結び付いている金森様も、
安堵を深められるに違いない……
おそらく今年は武田との大戦(おおいくさ)がある、
その時、
金森隊に日根野殿が居られれば、
どれほど心強いか……
本願寺と繋がっていた日根野殿なればこそ、
本願寺に与する(くみする)武田の情報を擁してることは必定、
日根野殿は武力だけにとどまらず、
多くのものを織田軍にもたらされるだろう……

 秀政、仙千代、竹丸は、
視界を白くする雪を眺めている。
 
 秀政が信長の気持ちを解いた。

 「鷺山殿に筋が通っていると分かっていても、
殿としてみれば、
日根野殿だけは臣下に加える御気持ちに、
なられなかったのであろう。
日根野殿とは因縁が有り過ぎた」

 「なれど、鷺山殿も同じでは?
この岐阜城は、
鷺山殿の父上、御兄弟の血を吸っている。
兄君、弟君を葬ったのは日根野殿……」

 「確かに竹丸が言うことも分かる。
だが、殿が図らずも仰った。
それは二十年も昔。
一方、長島一向一揆はつい昨秋だ」

 仙千代は信忠が父母の間に直截な介入は避け、
婉曲に鷺山殿に援けを出した理由が、
分かる気がした。

 殿のあの御気性では、
皆の前で鷺山殿に若殿が味方をすれば、
意固地になられる恐れもあって、
あのような回りくどい言い方をされたのだ……
 若殿の御考えも鷺山殿同様、
いっそ日根野弘就は自軍に加える方が、
後顧の憂いを断つと思われたのに違いない……

 「虎と(まむし)の姫御の戦いに若虎が加わって、
蝮姫と若虎様の連合軍が勝利を収めましたね。
若虎に蝮姫が乗り、采配を打ち振るい、
さしもの猛虎も尻尾を巻いて……」

 三人が茶室で今、親しく膝を交え、
雪を眺めているかと思うと仙千代は嬉しく、
つい、口が滑った。

 秀政は咎めず、笑いを噛み殺し、
竹丸は声をあげて笑った。



 
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