第181話 長良の船着場(2)

文字数 1,045文字

 仙千代にも竹丸にも、
敵と戦場で刃を交えることは今回が初だった。
 以前、やはり一向一揆との戦いで長島から撤退中、
白兵戦に巻き込まれ、打刀を鞘から抜いたが、
半刻ほど信長を守護するだけにその時は終わり、
人の身体に刃を突き立てることはなく、終った。

 竹丸と違い、仙千代は小木江城で襲われた際、
一揆の兄弟と白刃(はくじん)を交え、既に血を見た経験があった。
 竹丸は今朝が、刃を向けての実践は初めてだったはずで、
気遣う意味で仙千代は言った。

 「長谷川様は御無事のようで何よりだ」

 仙千代に竹丸が答えた。

 「うむ。父上の討死の報は届いていない。幸いに」

 武門の家に生まれ育ったとはいえ、
現実に人を殺めることと剣術の修練を積むことには、
大きな隔たりがある。
 仙千代は小木江城で凶徒と戦い、流血の事態になりはしたものの、
自らが傷を負い、数日間、高熱で意識を失っていた。
他者の身に傷を付けるという行為に対し、
朦朧とする中で、苦悩や逡巡は、徐々に消化され、総括された。

 この時代に生まれ、武家の息子に生まれ、
他にどのような道があるのか……
 真っ直ぐに生きる、ただ前を見て……
死ねば、後の行き先は、閻魔様が決めてくださる……

 竹丸は初の実戦を経て、今、ここに居た。

 ちらちらと竹丸の横顔を盗み見るようにしていると、

 「馬鹿者。余り見るな。見物代を取るぞ」

 竹丸は仙千代の頭をこつんと殴る真似をした。

 「心配は無用だ。
いつか来るその日が今日であったと、それだけだ」

 人を殺めることで己が生き永らえる。
己の命を盾にして主を護る。
 竹丸にとり、
戦場の掟を身をもって知った初の日が今日だった。

 仙千代の思いを竹丸は察していた。

 「やらねばならぬことをやったまで。
義も無く、刃を振るったのではない」

 「うむ」

 「頬に飯粒を付けているような者に案じられなど、
したくはない」

 「えっ?飯粒?頬に?」

 竹丸に指摘され、右頬、左頬を確かめた。
何も触らない。

 「何も付いておらん。騙したな!」

 竹丸は笑った。

 「竹!本当に人が悪い。せっかく案じてやったに」

 だが、そこで竹丸は空気を変え、声を低くし、言った。

 「それにしても、殿の御血筋は、
余りに多く喪われてしまった」

 これほど織田家の血が流され、
帰らぬ人となった戦は過去に無く、
もしあったとしたなら、
史上最大の逆転劇と言われる桶狭間の戦しかないと仙千代は思った。

 「殿は組織を再編せねばならなくなった。
この悲劇が後々、糸を引かなければ良いが……」

 竹丸は仙千代の心を読んだかのように呟いた。




 
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