第287話 下鴨神社(1)

文字数 1,124文字

 卯月初旬、信長は徳政令を発布して、
大方の債権者は、
信長や公家公卿達との今後の関係を考え、
一も二もなく応じる者が殆どだった。
 仙千代のような育ちから見れば、
金を借りる位なら働け、
借りたものは返せという意識で最初は見ていたが、
帝に血筋の繋がるような者が汗水垂らして働けば、
昨日までその任にあった者の糊口を奪い、
その者の(つま)や子が窮することになるという仕組みを、
一つ一つ訪問するうち、
仙千代はあらためて肌身で知った。
 貴族の収入は市井の者と質が異なっており、
労働の対価や褒賞として得るのではなく、
貴顕の存在が世の中で機能している限り、
権力者はそれを支える義務があるということだった。

 例えば、信忠は、出羽介(でわのすけ)を拝命しているが、
今、三河の地で武田勢に対し、
討伐軍の旗を立てていられるのも、
出羽介という地位にあるからであり、
源氏の最高名門でありながら、
現在の武田勝頼にその御旗はない。
官位は作戦遂行の士気に大きく関わった。

 とはいえ、金を貸した側からすれば、
踏み倒されるなど以ての外(もってのほか)で、
当然、徳政令に首を縦にしない者達は居た。
 そのような者達の屋敷を、
村井貞勝、丹羽長秀、堀秀政らと共に、
仙千代も、付いて回った。
 
 最初の数日、仙千代は全身を耳にして、
貞勝や長秀の交渉ぶりを胸に畳み、
脳裏に焼き付けていた。
 京都所司代を長年務める貞勝、
佐和山城主の長秀という二人が並ぶと、
流石に威圧があった。
 貞勝は物腰に猛々しさがなく、
僧籍に身を置く者かというほど柔和であって、
長秀も篤実を絵にしたような温厚ぶりだったが、
放つ空気は、所詮、商売人の敵ではなかった。

 時は、摂津の石山本願寺、
本願寺と組む阿波の三好康長が信長への抵抗を続け、
京の南では、きな臭さが強まっていた。
 数日内に南方への出馬があることは、
誰もが感じ取り、
参戦の武将達は戦支度に余念がなかった。
 出陣前にすべての債権者から徳政令への協力を、
取り付けなければならない。
悪平等も平等で、
金を貸した者達の間に不公平があれば、
信長への遺恨となって火種を残す。

 朝の間の訪問を済ませ、午後からに備え、
休憩がてら、
下鴨神社(しもがもじんじゃ)で名物の御手洗団子(みたらしだんご)を食べた。
 鎌倉時代にさかのぼり、
神事にも関係するという有り難い団子を仙千代は、
彦七郎や彦八郎と目を丸くして、食した。

 「美味い!」

 「美味いのう」

 「やはり水が良いんじゃな、
団子さえ、何やら風雅じゃ」

 三人が、お代わりもして恋々と食べていると、

 「お代わりは良いが、
織田家の家臣だということを忘れずにおれ。
我らは上様の名代にて、
見合った振舞をせねばならん。良いな!」

 名は知っていたが、
実物は初めてという由緒ある菓子に、
燥いで(はしゃいで)舌鼓を打っている仙千代達三人を、
秀政が窘めた(たしなめた)




 

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