第14話 元亀四年 正月

文字数 1,182文字

 新年には岐阜へ連枝衆、諸将、大名が挨拶に来て、
仙千代にとって城での初の正月は多くを学ぶ日々となった。

 饗応接待の覚えを例によって書き綴ることは当たり前で、
茶事で使用した茶器や掛け軸、花入など、座敷飾り、道具立て、
すべてを記録し、宴の席での酒肴に至るまで、
正月行事が初めての仙千代は委細漏らさず、認めた(したためた)

 信長は紙をいくらでも使って良いと言ってくれるが、
言葉に甘えることはせず仙千代は今では自分で入手していた。
出入りの業者に頼み、手持ちがなくなると、買っている。
 というのも、
城では自費で賄うものがほとんどなく暮らせてしまうので、
扶持は貯まるばかりで、
しかもその額は仙千代の想像をはるかに超えるものだった。

 昨年末、信長が、将軍、足利義昭に、
道理に合わない所業は遺憾であるとして、
十七ヵ条の意見書を提出した。
 
 信長が祐筆に義昭への訓戒を口上で伝えている際、
仙千代も墨をすったり、紙の用意をしたり、
あまりの長文で祐筆が疲労を見せて効率が下がった時には、
聞き取りを手伝って一部は書いた。
 
 その一文に、
義昭が寝所に召し寄せた気に入りの衆道相手に、
扶持を支給するばかりでなく、代官職に任命したり、
あるいは道理に合わない訴訟を申し立てた時、
将軍が贔屓の若衆に肩入れをして、
世間から悪し様に非難されているのは如何なものか、
その非難も当然の報いと言われても仕方のないことである、
というものがあった。

 義昭は、朝倉、武田といった大名に相手にされず、
困窮していたところを信長が援け、上洛させた、
流浪の将軍だった。
 信長の後ろ盾がなければ身の置き所にすら事欠いていた。
そのような義昭と信長を比べることは無理があるとしても、
仙千代は不思議な気がした。

 信長は義昭の夜伽相手への寵愛ぶりを非難しているが、
例えば堀秀政も信長の小姓を務め、
既に十代半ばで、奉行職に就いていた。
 もちろん、秀政は聡明で、働きぶりは熱心で、
人柄も確かな人物だった。
しかし順を違えた栄達が、
何とかと妬みの種になっていることも事実ではあった。

 秀政ほど早い出世は望むべくはないにしても、
と、仙千代は思う。
今の仙千代が受けている扶持は、去年一年を、
ほぼ児小姓として過ごしたにすぎない者への額とは思われず、
通常、児小姓には扶持は払われないことがほとんどなのだから、
異例中の異例だと仙千代にも分かる。

 たいした働きもしていないのに、
斯様に頂戴して良いのだろうか、
桁がひとつ違っているのではないか……

 とも思い、信長に思いを伝えようかとも悩んだが、
間違いなく一蹴されると考え、結局、黙っている。

 その分、しっかりお仕えするだけだ……
懸命に働いてお返しするしか御恩に報いる道はない……

 答えは最初から出ていた。
信長がすることに異議申し立てはできない上に、
その寵愛は家中の誰にも、仙千代にも、今は明白だった。


 


 

 
 
 

 

 
 
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