第313話 帰郷(1)

文字数 1,979文字

 武田勝頼との戦を控え、
鉄砲の一丁、銃弾の一発でも多く揃えようと、
信長は諸将に命じ、
自身も各地の大商人や職人達を動員し、
砲銃を集められるだけ、集めていた。

 五月の初旬、仙千代は、
父子二代にわたって信長の鉄砲奉行を務める橋本道一の城、
尾張国 儀長城へ出向いていた。
 道一の弟、大膳もまた、信長の鉄砲を扱っていて、
儀長城から直ぐの矢合(やわせ)に城を構えていた。
 道一に至っては、
儀長城以外にも形原一色城の所有も許されており、
信長がいかに鉄砲、また砲術を重要視しているかの表れだった。

 道一の父、橋本一巴(いっぱ)は火縄銃の名手で、
信長と岩倉織田氏の戦いである浮野合戦で、
弓の達人、林弥七郎と相打ちとなり、
戦死を遂げた。
 十五才の信長が自ら望んで師と仰いだ一巴の死は、
信長を悲しませ、
一巴の遺児である道一、大膳は一巴同様、重く用いられた。

 四年前、道一が催した餅つき行事が、
信長と仙千代の出会いだった。
以後、何度も道一と顔を合わせているものの、
会うのはいつも戦場で、
ゆっくり語らったことはなかった。

 今回、武田との戦で、
信長は近江国 国友善兵衛に鉄砲を大量に発注していた。
間に入っているのが道一で、
善兵衛は一巴の時代からの(よしみ)である橋本家を信頼しており、
道一の鉄砲に対する造詣の深さから、
道一、もしくは弟の大膳を、交渉役として必ず指した。

 仙千代は信長の使者として道一を訪ね、
鉄砲、銃弾の製造、集積について情報を交わした。

 道一は戦況、戦支度について話が一段落し、
仙千代が一家を成すことを許され、
家臣団屋敷地に住まいを与えられたことを知ると、
共にやって来ていた彦七郎、彦八郎共々、
まだ日中だというのに、たいそうな馳走をして、
もてなしてくれた。

 「帰りがある故、酒はお出しできませぬが、
沢蟹の澄まし汁、
これはとりわけ絶品ですぞ」

 「頂戴いたします!」

 「恐れ入ります!」

 「有り難くいただきます!」

 城の横に流れる三宅川の恵みは、
沢蟹、川海老、もろこ、(ふな)等、
どれも味付けがしっかりしていて、
早朝に岐阜を発って空腹だった若い三人の良い飯の友になった。

 「この後は真っ直ぐ城へお帰りになられるのかな」

 道一が尋ねた。

 「久方ぶりに鯏浦(うぐいうら)へ参ります。
万見の養父(ちち)家人(けにん)の良い人材が居ると申しまして、
その面談で本日は帰省が許されたのです」

 「きな臭さが増す斯様な時期に、
信厚い仙千代殿の不在を、
たとえ一泊とはいえ許されるとは、
上様は仙千代殿には首尾一貫、大甘でいらっしゃる」

 仙千代が信長に初めて拝謁した時、
道一も同席していて、
信長と仙千代の初対面の一部始終を見ていた。

 もう二杯のおかわりをしている彦七郎が、
口中を空にしたところで、会話に入った。

 「当初、上様は、
良い御顔をなさらなかったのです、
我が殿が鯏浦に立ち寄ることを。
日帰りで済ませよと仰せになって」

 「恐縮です、もう一杯、宜しいか」

 と、道一の小姓に三杯目の椀を差し出しつつ、
彦八郎も加わった。

 「橋本様にお会いした後、
鯏浦に行き、所用を済ませれば、
どれほど上手くいっても帰城は夜中。
今宵は月明かりも無く、闇夜の帰還は避けたいところ。
上様にそれを殿が申しましたところ、
また、たいそう機嫌を悪くされまして」

 小姓が新たに飯を差し出すと、

 「かたじけない」

 と彦八郎は受け取り、
幼い頃から見知った道一が相手のせいか、
またも食い気に専念した。

 道一は目を細めるばかりだった。

 「よもや、御三人が、
ここまで早い出世を遂げられるとは。
我がごとのように嬉しく思うのは、
やはり同じ尾張衆としての気持ちであろうか」

 三人と信長の邂逅の場を提供したのが他ならぬ道一であるのに、
恩着せがましさを避けた物言いに、
道一の人柄が表れていた。

 「上様は、たとえ一泊でも、
仙千代殿を手離されることがお嫌であらせられた、と。
左様なことなのですな」

 仙千代は黙して認めた。

 数日前、仙千代が万見の父に手紙(ふみ)を出し、
家臣団屋敷地の邸宅に家移りしたこと、
料理人と小者が邸には居ること、
市江兄弟が陪臣として付けられたことを伝え、
尚且つ、他にも、
数名の家人を必要としていると綴ったところ、
早々と返事が寄越され、
心当たりの数名に、
いつでも会わせられるということだった。

 信長は仙千代が、
家来の雇い入れに難儀するのであれば、
織田家直参の若手から選べば良いと言ってくれた。
 仙千代は深謝し、
まずは親類縁者、近隣の衆にあたると答え、
それについては、
儀長城の所用を終えた後、
一晩泊まりを許可してほしいと願い出て、
すると信長の機嫌を悪くしてしまったのだった。

 たった一日、一夜限りであるのに、
何が御気に召さないのか……
京からお戻りになられて、
上様は毎夜、御側室の方々とお過ごしで、
御不自由は何も無いはずでいらっしゃるのに……

 その際、まさに昨日、
仙千代、彦七郎、彦八郎が、信長と同室に居た。




 
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