第406話 仏法僧の夜(5)仙鳥③

文字数 1,188文字

 「仙、焼けた。
どうじゃ、儂の腕前は。
いかにもふっくら、上手く焼けた。
御歴々が召し上がる故、
我らの口に入らぬのが惜しいのう」

 と、三郎が焼き上がった仏法僧を、
仙千代、藤助に披露した。

 勝丸が、

 「山椒、洗ってまいります。
石で潰して、練りますれば尚、
見栄えも風味も上がりましょう」

 と山椒の枝を携えて、
井戸の方向へ消えた。

 「では、私はこれにて」

 藤助が頭を下げた。

 「何処へ行かれる」

 仙千代が問うた。

 「はい、明日の首級実検(くびじっけん)を前に、
式場の設営や陣城の解体が始まっております故、
そちらへ出向き、私も、」

 仙千代は最後まで言わせなかった。

 「いえ、宴に、
豊田殿もお出になられます」

 「いえいえ!」

 藤助は目を白黒、顔を真っ赤にした。

 「有り得ませぬ。
無論、聞いてもおりませぬし、
私のような者が、
上様の宴の末席を汚すなど、
いえいえ、左様な。
けして有ってはなりませぬ」

 藤助は顔前で手を左右に急いて振り、
大きく狼狽えた。

 仙千代は、

 「もう決まっているのです」

 と断固とした口調を変えなかった。

 実は藤助が招かれる可能性は低かった。
 宴を催す主は信長で、
織田勢はともかく、
徳川軍は家康の差配で出席者が決まる。
 思慮深い家康は、
厳選した将のみを連れてくるはずであり、
微かにも信長の眉根を顰め(ひそめ)させるような振舞を、
するはずがなかった。

 今夜の祝宴は形式上、祝いとなっているが、
明日の首級実検(くびじっけん)を前に、
諸将、兵達の軍紀違反の有る無しや、
主立った戦功を話題に挙げて、
詮議を為す場でもあった。
 豊田藤助の働きは徳川軍の手柄であって、
しかも東三河の山奥の郷士である藤助は、
誰の臣下でもなく、身が低かった。
 首尾一貫、
慎重な行動を旨とする家康が、
信長の宴席に呼ぶとは思われなかった。

 察した三郎が仙千代を心配そうに見た。

 三郎とて、藤助の確かな斥候、
名案内ぶりは、知っている。
 長篠城救援の成功は、
ひたすらに藤助の力があってこそだった。
 だが、いかんせん、
一介の地侍に過ぎない藤助は、
部隊の先頭に立つことなどは、
本来、適わない身分でもあった。

 三郎が藤助の顔色を気にしつつも、
仙千代に小声で訊いた。

 「上様は御存知でいらっしゃるのか」

 「いや」

 「では、徳川様が?」

 「さあ」

 察した藤助が一礼し、

 「またお会いできましょう、
いつか、きっと。
心より願っております」

 と仙千代、三郎に告げた。

 仙千代は別れを受け容れなかった。

 「私の言ったことを、
聞いておられなかったのですか。
豊田殿は、
宴に出られると申しましたでしょう」

 藤助は冷や汗をたらたらと流した。

 「お許し下さい。
呼ばれもせぬのに居りましたなら、
いえ、
上様の本陣に斯様に長く居りますことさえ、
許されぬこと。
もう退散致しますゆえ、」

 藤助は半ば泣き顔になっていた。

 端然としているのは仙千代ばかりで、
三郎も困惑で眉が八の字になっていた。

 

 



 

 

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