第283話 足助へ(1)

文字数 1,424文字

 天正三年 弥生の末、
信忠は尾張の軍勢を率い、
三河国 足助(あすけ)へ徳川家康の援護に向かった。
 重鎮にして賢将の稲葉一鉄、
鷺山殿(さぎやまどの)の実弟であり、信長の信が殊更に厚い斎藤利治、
織田家譜代の家臣の代表格である森長可(ながよし)といった美濃衆は、
岐阜の護りとして残した。

 気付けば、命じてもいないのに、
勝丸の姿が馬上の三郎の脇にあった。

 「勝!」

 信忠が呼ぶと、甲冑姿で走り寄って来た。

 「何処へ行くのだ、列に加わって」

 「足助にございます!」

 「命じておらぬ」

 「お命じになられましてございます!
この耳が主の御言葉を確と(しかと)聞いておりまする!」

 有り得ないことを、しゃあしゃあと宣うた(のたまうた)
信忠は一切、下知(げち)していない。

 勝丸が城勤めになって一年半が経ち、
(よわい)十五になっていた。
昨年は、
長島一向一揆制圧戦という長丁場の出征があったが、
勝丸は心身共に未熟であるとして、
長島行きは適わなかった。

 勝手に付いてきた今日この日が、
勝丸には初陣となる。

 信忠は笑いが込み上げたが、
勝丸との阿吽の呼吸で少しばかり表情を変えるに留めた。

 「勝には主が、儂以外にも居るらしい」

 「左様なことはございません!」

 「ずいぶん立派な甲冑を誂えた(あつらえた)ものだ」

 「はっ!清須の玉越に依頼したものでございます!」

 「うむ?」

 「三郎殿の推薦により、
玉越に造らせたのでござる!」

 主君の命を受けてもいないのに付いてきて、
足軽、奉公人の御貸(おかし)具足とは一線を画す、
値の張りそうな当世具足で全身を固めた勝丸は、
見た目だけで言えば織田家の新進武将と言えた。

 三郎が勝丸に推したという清須の玉越といえば、
言うまでもなく、清三郎の実家、
甲冑商の玉越だった。
 三郎の胸に刻まれている亡き清三郎への思いは、
殺伐とした戦場へ向かう今、
信忠の心に一瞬、涼やかな風を吹かせた。

 信忠が振り返り、三郎を見遣ると、三郎は、
勝丸の今日の行動について、
いかにも自分は関係無いという顔で、
視線をわざとらしく外した。

 「勝のもう一人の主が分かった」

 早歩きの勝丸が信忠を見上げた。

 「後ろに居る、あの寝小便大将であろう」

 「寝小便?」

 「三郎という名のあの武者は、
城に上がってからも、
その(へき)がなかなか治らなかったのだ」

 「初めて聞きました」

 「何かあったら、それを言えば良い。
今は偉そうにしておるが、
三郎の恥ずかしい過去じゃ」

 「は、……はあ」

 何を話しているかまでは分からないと見え、
三郎は涼し気な面持ちで手綱を操り、
凛々しい若武者姿で居る。

 儂を飛び越し、
勝の出陣を決めくさった罰じゃ、
三郎め、腹は下すわ、溺れるわ、
それが何時の間にやら、
まったく食えぬ男になったものだ……

 身勝手な振舞をした勝丸ではあるが、
三郎からの報告によれば、
武道に秀で、とりわけ弓に於いては、
御弓衆(おゆみしゅう)に入っても遜色はないという程の腕前、
熱心さであるということだった。

 勝丸は、美濃 加納の土豪の子だった。
得意の弓術を熱心に為し、
信忠の引きを羽に(ばねに)己の道を切り拓こうという野心は、
けして不快ではなかった。

 いつまでも幼いと見ていたが、
勝丸の飛躍を望む思いに気付かなかった儂が悪い……
三郎が正しい……
三郎が勝の弓の腕が良いと褒めたのは、
初陣を促す意味だったのだ、
儂はその意を酌み切れずにいた……
 三郎は勝が、儂が考えるより半歩先に、
もう進んでいるということに気付いておった……

 美濃から尾張へ続く平らかな道中は、
那古野城のある熱田台地に差し掛かる頃から、
緩やかな丘陵地へ入って行った。




 
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