第314話 帰郷(2)

文字数 1,877文字

 昨日、万見の養父(ちち)から手紙(ふみ)が届き、
国友善兵衛へ発注していた鉄砲の件で、
儀長城へ出掛けることになっていた仙千代は、
信長との申し合わせが済んだ後、
実家への一泊を願い出た。

 それまで機嫌良くしていた信長が、
ぎろっと睨んだ。
 
 この四年、家に帰ったのは七日間だった。
意地の悪い先輩小姓に亡き清三郎と二人、
揶揄われ(からかわれ)
大根を手に大立ち回りを演じ、
謹慎を食らった時だった。
 他の小姓は時期が許せば、
葬祭や見舞いで帰省したり、
城下に住まいがあってちょっとした折に顔を出したり、
または竹丸や勝九郎のように重臣の子であれば、
信長に会いに来る父親と城で顔を合わせた。
 仙千代は、
長島で背に怪我を負って高熱にうなされている時、
父が見舞ってくれはしたものの、
目まぐるしい日々をこなすことに精一杯で、
帰省を考える(いとま)が無かった。
 時折信長は、万見家当主が健勝であるかどうか、
脚の具合はどうかと尋ね、
継続して岐阜から医師を差し向けてくれていたが、
仙千代の里帰りに関しては、
口にすることがまったく無かった。

 「橋本様との面談につきましては、
彦八郎を当日中に岐阜へ帰し、
委細洩らさず報告させます故、
泊まりになることをどうぞお許しください」

 「左様な問題ではないのだ」

 身を預けていた脇息を追いやり、
苛立ちを隠しもせず眉間に皴を寄せた信長だったが、
言語明瞭意味不明で、
しかも表情には珍しく困惑が垣間見えた。

 何をお困りなのか……
こちらこそ、弱ってしまう……
儀長城へ出向くのであれば、
儂の家まで南へたった四里、
この機を逃せば次はいつになるのか……
邸を賜っても今の頭数では勤めがこなせぬ……

 「では、どのような問題なのですか?
三河への出陣が近付いております故、
儀長城へ参る日にこの件を済ませておきましたなら、
最も時の無駄がなく済むかと思われます」

 「織田の家臣から選べば良いではないか、
いくらでも家来を付けてやると言っておるであろう」

 「有り難いばかりでございます。
なれどまずは自分で探そうと思うのです。
父も心掛けてくれていたようで、」

 扇子が信長自身の腿を叩いた(はたいた)

 「万見殿は万見殿、
左様なことはどうでも良いのだ」

 仙千代もカッときた。

 「どうでも良いとは!」

 万見家に家来衆が居ないことで、
仙千代が如何に心細い思いをしたか、
また父がその為に心を砕いていてくれたこと、
それが仙千代にはどれほど嬉しかったか、
信長は我関せずで、
特に理由も言わず、ただ機嫌を悪くして、
まるで駄々をこねているとしか思われなかった。

 「いや、万見殿は仙の父君。
どうでもいいとは言い過ぎた。
だが、我が織田家は多士済々、
選り取り見取りで仙千代が好きに選って(よって)良いのだぞ、
遠慮は無用じゃ」

 「万見殿」などと信長が臣下に敬称を付けるとは、
有り得ないことだった。
しかも仙千代に無上の好待遇を示す。

 信長の不機嫌の理由(わけ)を測りかね、
仙千代はいったん黙した。

 間を置いて、信長が発した。

 「明日、明後日あたり、
家の近くで祭禮(さいれい)でもあるのか」

 また何たる尋ねかと、仙千代は、

 「ございません」

 と、言い切った。
 祭が楽しみで帰るなど、
城勤めに上がってから頭の隅にもないことだった。

 「何故、左様なことを仰るのです」

 「む……」

 「何ゆえでしょう」

 心外な仙千代は詰め寄った。

 「一年前、
あれほど楽しそうにしておったではないか、
競馬神事の見物で」

 昨年の同じ時期、上洛中の信長に、
賀茂祭の主催者が神事の馬が足りぬと言ってきたので、
信長は馬廻り衆の駿馬十八頭と名馬を二頭、
舎人(とねり)共々豪華に飾らせ、貸し出して、
神前試合では織田家の馬が全勝し、
信長の御伴で見物していた仙千代は大いに応援し、
喜んで燥いだ(はしゃいだ)

 「我が故郷の祭に競馬はございません」

 「馬がどうこうではない」

 「私がそれで興奮し、
騒いだと仰ったではありませぬか」

 「左様な言い方はしておらぬ」

 「同じことでございます、
この耳にはそのように聞こえましてございます」

 信長は急に方向を変えた。

 「ああ、儂は見た。
あの時の仙は日頃にないほど沸き立って、
楽し気であった。
故に此度も祭でもあるかと考えたのだ」

 「祭に行きたいのなら行きたいと申します。
しかも端から(はなから)お伝えしているではありませぬか、
父と会い、上様の陪臣となるにふさわしい人物かどうか、
見極めて参りたい、
その為に一泊することをお許し願いたいと。
私はずっと同じことを申しているのです。
それを上様は祭だ、神事だ、競馬だと、
私がさも、浮かれているような仰り様」

 「やかましい。小癪なことを言うでない」

 信長の眉間の皴が深まって、
仏頂面になった。


 


 
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