第397話 志多羅の戦い(16)孤立の大将旗

文字数 1,269文字

 連合軍の兵は志多羅の段丘の窪み、
陣城の土塁や柵の陰に身を潜め、
武田軍に兵力、
装備の全容を見せずして戦闘に入った。
 
 陽動の為、
表立って原に出ていた部隊も、
川を挟んで対峙していた敵が威勢を奮えば、
味方の陣へ逃げ帰り、
この二年、
一度も勝頼に勝ったことのない、
相変わらずの織田軍、徳川軍を装った。

 信長が描いた作戦は図に当たり、
面白いように武田は崩れ、
地響きのような大勝鬨(かちどき)を起こさせた山県(やまがた)昌景の死は、
とりわけ信長の歓喜を呼んだ。

 「孤愁の風に大の字がはためいておる。
敵本陣は裸に近い。
あれに見える指物は誰ぞ」

 「風林火山」の使用を許されずにいる勝頼は、
白地に「大」の一文字の旗指物で、
確かに周囲を固める兵が疎ら(まばら)となって、
本隊以外で付き従っているのは、
ほぼ一部隊のみとなっていた。

 「仙千代!」

 上席の菅谷長頼に促され、

 「陣場奉行、原昌胤(まさたね)にござる!」

 と仙千代は瞬時に答えた。

 仙千代は、
武田と合戦を度重ねている徳川陣営や、
金森可近(ありちか)、河尻秀隆ら、
甲斐 美濃の国境の紛争に詳しい、
織田家中の将によって作成された、
敵軍の部隊編成、馬印、旗指物を、
戦前からよく覚え、頭に叩き入れていた。
 竹丸も無論、同様だった。

 特に竹丸はここに至るまでにも、
作事や普請に強い興味を見せて、
自ら名乗り出て、
街道や宿場の整備を担う経験を積み、
長篠では陣城の築営に力を発揮していた。

 戦の遂行には様々な役職があって、
実働隊の指揮は行わず、
合戦状況を把握して、
総大将に助言する武者奉行という役目があった。
 軍監と似ているが、
軍監は軍者とも呼ばれ、
武者奉行は、
軍監に戦況の委細を伝える役を帯びていた。
 しかし信長は戦に於いて、
すべてを自身で決定していて、
軍者を置くことはなかった。
 せいぜい、参謀的に武者奉行、
将の働きや軍規違反に目を光らせる戦奉行を命じる程度で、
信長は指揮の万事を独断決行した。

 堀秀政が今回は岐阜城を守り、
兵糧、武具、焔硝(えんしょう)等を送り出す後詰に就いていたので、
仙千代、竹丸は、
秀政より尚、先達である菅屋長頼と共に、
側近として立ち働いた。
 その勤めには物資を送る秀政と連携し、
食糧や他の一切合切が、
遅滞なく各部隊に行き渡るよう、
差配する任も含まれていた。

 「陣場奉行が総大将の最後の盾とは。
聞いたことがない。
武田の数多の将は何処(いずこ)に消えた。
原の草葉の露となり、霧散したのか」

 信長はさも愉快そうにした。

 陣場奉行は戦場の地形を見定めて、
味方が有利に戦える場所を選定する。
 歴戦の原昌胤は、
その立場からこの決戦を回避するよう、
進言したに、まず、違いなかった。
 しかし受け容れられず、
武田は東の長篠、
西の志多羅に挟撃される劣勢で、
戦いの火蓋が切られた。
 
 陣場奉行であれば、
通常、本陣脇に控えるところ、
昌胤は陣形を遊軍のように動き回り、
当初、山県隊を支援して、
赤備えが壊走すると中央に移り、
やはり山県昌景を助けていた内藤昌豊に代わり、
勝頼を警護していた。

 長頼が、

 「現認致しますところ、
原隊は殿(しんがり)の様相を呈しております」

 と述べた。

 武田軍の敗走が始まっていた。


 
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