第296話 土倉商(8)

文字数 902文字

 とはいえ、仙千代は儂の傍から離せぬ……
京へ置いて、
所司代や大和守護の手伝いをさせるのは一興だが、
今はまだ手離せぬ、今はまだ……

 仙千代は実際、疲れか、空腹か、眠気か、
ただ黙しているだけなのかもしれなかったが、
静穏な佇まいで座している姿を見ると、
何やら思念しているようにも映り、
まったく奇特な存在だと信長は舌を巻く思いで眺めた。

 と、突然のように彦八郎が、

 「恐れ入ります!
すっかり失念しておりました!
横倉屋が何やら持たせてくれまして」

 と言い、脇に置いていた包みを勝九郎に渡した。

 受け取った勝九郎が信長の許可を得て開けると、
二段の桐箱に椿餅がびっしり詰められ、
合計で五十個あった。
 
 椿餅とは、もち米を乾燥させ、
臼でひいて作った餅粉を甘葛(あまづら)の汁で練って団子のようにし、
椿の葉で包んだ菓子で、
葉の艶やかな緑と餅の白さが見目爽やかだった。

 「斯様な土産まで持たされたのか、仙千代は」

 長秀が驚嘆の声を上げた。

 「また何と美しい餅じゃ」

 見事な出来栄えに信長も見入った。

 「我ら三人は先様で既に頂戴しております」

 と彦七郎が言うと、
貞勝が、

 「椿餅は源氏物語にも登場し、
この町の上層の者達は、まこと、この餅を好みます。
おや、これは御所に出入りの菓子屋の作ですな」

 と、瞠った(みはった)

 「ほう、何故分かる」

 「桐箱の焼き印に覚えがございます」

 桐の香りを吸い込むように深呼吸してみせた秀政が、

 「しかし横倉屋はやけに用意が良い。
前触れのない訪問であったのに、
何故、斯様に多くの餅を……」

 と、疑問を投げた。

 仙千代が、

 「所司代殿はじめ、
我らが徳政令の件で各所を回っておりました故、
噂を聞いた横倉屋は、
今日来るか、
明日来るかということで毎日、
準備だけはしておったようでございます」

 と答えると、信長はまたしても感嘆した。

 「仙千代、それとて気に入らねば、
どんな富豪であろうとも手土産は渡さぬぞ」

 仙千代は直ぐ後ろの彦七郎、彦八郎を振り返り、
朗らかな笑みを見せた。
 兄弟も、力強く笑顔を返した。

 遅れて帰った三人は、やがて、退室し、
信長は貞勝らと椿餅を食した後、
相国寺に宿営している家来達に残りを与えた。

 

 

 



 

 




 

 
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