第405話 仏法僧の夜(4)仙鳥②

文字数 1,533文字

 山椒を共に探して、
いっそう打ち解けた仙千代と、
豊田藤助秀吉だった。

 豊田殿は何の手柄でもない、
ただ道を知っておっただけだと言われるが、
天下の上様から預かった八千という兵の命と、
重大極まる奇襲戦の成否を委ねられ、
雷鳴とどろく雨の夜陰に山道を案内するとは、
いくら地勢に詳しい郷土とはいえ、
足のすくむような、
とてつもない重責であったに違いない、
よくぞよくぞ、やり遂げられた……

 仙千代は、戦闘の止んだ後、
信長に集まる数多の報せを聞いて、
藤助の働きの重さ、大きさに、
あらためて感じ入った。

 三千の酒井隊、五千の金森隊は、
志多羅を五月二十日 戌の刻、出立し、
船着山の西を通って吉川を経由した。
 山里、吉川は、
藤助の一族が住み着いて、
代々守り通してきた(さと)だった。
 
 藤助が先に使いを遣っていた吉川郷では、
雨夜にもかかわらず、
村人総出で奇襲隊を待っていた。
 
 村の衆は梅干、木の実、果ては芋の蔓まで、
精一杯の携行食糧を持ち寄って、
井戸はすべて開放し、
稲光に向かって行軍する兵達に、
温かな情けと今一度の勇気を与えた。
 吉川を他国に支配されてはならない、
我が村を守り通すという気概、
いや、悲願が藤助以下、
村人全員の共通の思いだった。

 連合部隊は、
鳶ケ巣山(とびがすやま)の守備隊が警戒していなかった
尾根伝いに背後へ迫り、
翌朝、雨が上がったと同時、
五つの砦を一斉に攻めた。
 
 前以て藤助が報告していたように、
五砦は連携しておらず、
しかも背後からの急襲で、
高所から脅かされた武田軍は、
少ない力で奮戦するも次第に劣勢となった。
 
 武田兵は、酒井隊によって、
本砦である鳶ケ巣山の兵糧庫から火が上がったのを見ると、
砦の陥落を確信し、
歓喜に沸いた長篠兵達からの猛撃も加わって、
一気に敗走に傾いた。
 
 奇襲隊と長篠城兵は、
武田軍が山へ逃げ込むことを許さず、
西の志多羅原へ追い込んでゆく。
 
 長篠と鳶ケ巣山に展開していた武田勢は、
勝頼本隊に合流するまでもなく、
多くが討ち取られた。
 鳶ケ巣山砦奇襲戦、長篠城救出戦は、
鮮やかなまでの快勝をここに収めた。

 藤助により山椒が採れると、
三郎が調理しているであろう場所を探しつつ、
二人は歩いた。

 「万見様、これを」

 藤助が懐から取り出したのは油紙で、
仙千代が前の晩に餞別とした、
氷砂糖がほぼそのまま残っていた。

 「召し上がったのではないのですか」

 「頂きましたとも、もちろん。
でも、一つだけ。
何と甘いのか、美味いのか。
天にも昇る心地にて、
是非にも生きて帰り、
子らに食べさせたく思いましてな」

 「御子は何人おられるのです?」

 藤助は信長と似た齢に見受けられた。

 「まだ小そうて。
上が七つ、下が五つ。
あと、稚児(やや)が女房の腹に今、居ります」

 尋常であれば、
長子は既に二十歳位になっていても良かった。

 「ある時、村で流行り病がありましてな。
それで減りました」

 様々な思いが過った(よぎった)仙千代だった。
だが、無言で受けて、
三郎を見付けるまで、何も発しなかった。
 
 また仙千代は、氷砂糖を、
一欠片(ひとかけら)のみ食したという藤助は、
信長から受けた献杯の盃がしのばせてあることも、
未だ知らないと気付き、
それについても口を閉じた。
 家に帰り、
腹の大きな妻君が笑顔で迎え、
じゃれついてくる子らが砂糖を食べ進んだ時、
誰が盃を見付けるのか、
見付けた時の藤助の驚き、喜ぶ顔が、
今から目に浮かんだ。

 「この氷砂糖は、
油紙さえ、家宝に致します。
我が一生の思い出、宝でござる」

 父子ほど齢の離れた二人は、
旧い友のように見合わせて、
心から、にこっと笑った。

 「おお、御覧くだされ、
煙が上がっております、ほら、あちらに」

 本陣の奥の沢で、
鳥を焼いている三郎の背が見えた。
 仙千代は山椒を土産に、
藤助を伴い、近付いて行った。


 

 

 
 
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