第376話 志多羅での軍議(10)奇襲戦①

文字数 1,432文字

 五月二十日、酉の刻、
志多羅の原に雨は降り続いていた。
 雷鳴は徐々に遠ざかっていた。

 信長が呼び出した顔触れに、
豊田藤助は含まれていなかったが、
仙千代は招んだ(よんだ)
 末席に藤助が座していても、
信長が咎め立てすることは無かった。

 徳川家康は酒井忠次(ただつぐ)を、
金森可近(ありちか)は日根野弘就(ひろなり)を伴っていた。
 奇妙な偶然で、
家康の父の妹は忠次に、
可近の父の妹は弘就に嫁していて、
図らずも二組の主従の閨閥が共通していた。

 信長は忠次が献じた計画を、

 「野心的、かつ、名案である」

 と褒めた。

 その上で、武田の内通者を警戒し、
あの場では敢えてあのようにしたのだと言った。
 合戦が大きくなれば、
有象無象(うぞうむぞう)が寄り集まって、
何処で策が漏洩するか油断できない。
 特別な作戦に於いては尚更だった。
 
 「軍勢の規模は」

 信長が質すと、
忠次が家康を見遣り、主が答えた。

 「三千、与えようと思うております!」

 徳川軍は総勢で八千だった。
奇襲の忠次隊に半数近くをあてがうとは、
この策こそが、
今回の戦いの要諦なのだという家康の熱が伝わって、
常は厳然とした面持ちの忠次が紅潮した。

 「弓、鉄砲の巧みな者を集めよ。
こちらは五千の兵と五百の鉄砲を出そう。
武田五砦討伐戦、
いや、長篠城救出戦は、
我が方の大将は金森五郎八、
副将の一人に日根野徳太郎を命じる」

 信長が与えた五千兵、
五百挺という数に圧倒されて、
家康、忠次のみならず、
五郎八こと可近、徳太郎こと弘就も、
驚愕を隠さなかった。

 「そこに居る……うむ、藤助か。
藤助が申すには、
城の対岸の五砦は足しても千か、
千百の兵。
が、城の北から武田兵が、
川を渡って援軍に来ぬとも限らぬ。
金森、日根野は役に立つ。
大いに頼れ。
友軍や武器は多い程、心強いでな」

 可近、弘就は、
忠次に眼差しを向け、頷いた。
 忠次は、感謝の意を、
やはり目で返した。

 今や家康が真っ赤な顔をして、
玉のような汗をかいていた。

 「厚き御支援、
これ以上はない望外の喜びにて、
深謝申し上げ奉ります!」

 「浜松殿、(こうべ)を上げられよ。
策が練られぬではないか」

 「ははっ!」

 信長は次に可近に向いた。

 可近は、
信長の父の代に十八歳から織田家に仕え、
青年期から馬廻りとして、
信長と共に各地を転戦した文武両道の智将だった。
 可近の叔母が日根野弘就の正室で、
弘就は当初、
信長の舅である斎藤道三の家臣であったが、
子の義龍に重用されて頭角を表すと、
義龍の命を受け、
信長にとっては義兄弟である斎藤孫四郎、斎藤喜平次を、
稲葉山城、つまり岐阜城に於いて斬殺した。
 斎藤義龍没後には、斎藤龍興、
今川氏真、浅井長政、
本願寺 下間頼旦(しもつまらいたん)と、
首尾一貫、信長に抵抗し、
敗け続けた生涯だった。
 昨秋、
長島一向一揆制圧戦で敗北を喫すると、
年始、信長の赦しを得た上で、
(つま)の一族である可近の下で嫡男の高吉共々、
馬廻りを拝命し、
以降、可近と行動を一にしている。

 ふと、信長が笑みを浮かべた。

 「興しろきことよ。
齢の順で言えば最も兄が日根野。
次に金森。そして酒井。
三人共、余より年上だ。
見聞、知見豊富な三人が、
如何なる戦上手ぶりを見せてくれるのか、
楽しみでならぬ」

 信長なりの激励だった。
三者誰もが畏まり、笑みは封じ込めていた。

 「藤助!」

 「ははっ!」

 「申せ!」

 信長の癖が出て、極端に前後を端折ってしまう。

 忠次が、

 「今宵の踏破の道筋じゃ」

 と助け船を出した。
 
 言い添えられて得心した藤助が、

 「御無礼仕りましてございます!」

 と、広げられた絵図の前に進んだ。


 
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