第316話 帰郷(4)

文字数 1,183文字

 「仙千代、未だ、好いた女子(おなご)は居らぬのか」

 「居りませぬ」

 「見目形の良い侍女達が居ろう、城中に。
気にならぬのか」

 首筋へと吐息が移った。

 「なりませぬ」

 「では、若侍や小姓衆に惹かれる者は……」

 「居りませぬ」

 「まことであろうな」

 「まことでございます」

 信長が、信忠は当然のこと、
織田家の姫君達を口にすることは流石になかった。

 仙千代は、
万々一、信忠の名が挙げられたとしても、
否と答える自分を知っていた。

 若殿は憧れの御方……
天空に輝く極星のような御方……
眩い陽の光に遮られても、
そこに動かず、存在している……
大切な大切な星……

 信忠は心の奥の小箱に閉じ込めた美しい思い出だった。
箱から取り出せば、今も胸が締め付けられる。
故に仙千代は蓋をして、
たとえ信忠本人が目の前に居ても、
私情をはさまぬように強く律した。

 この四年、
仙千代が信長をどう思っているのか、
問われたことは一度となかった。
信長は生まれながらに人の上に居て、
気に入れば男女を問わず手に入れられる立場であって、
そのような信長が、
相手の心理を探る必要はないことだった。
 信長は今も、
仙千代にそれを確かめることをしなかった。

 「存じておろうが仙千代の(つま)は儂が決める。
まかり間違っても己で女子(おなご)を見初めるでないぞ。
特に若い時期、
婚外で子をもうけることには注意を払わねばならぬ。
儂も我が父も、
嫡男の決定に少しばかり悶着が起きた故にな、
老婆心というやつだ。
儂が選ぶ娘御と見舞えるまで身を清く保て。
誰もが羨み、
待った甲斐があったと必ずや思える室を用意してやる」

 信長はさらっと言ったが、
その言い方をするのであれば、
信長は仙千代の正室に、
相当に高位の家の娘を考えているということだった。
 数えの十六となった仙千代は、
あと数年で、室を迎えることになる。
信長が、仙千代や竹丸はじめ、
若い近侍の閨閥(けいばつ)組織図を頭に描くことは当然だった。

 「仙千代には、
代を継いで織田家を支えてもらわねばならぬ。
どのような嫁御を儂が選ぶか、
楽しみにしておれ。
栄えある万見家の礎に仙千代がなってみせるのだ」

 信長の顔が近付いて、唇が重なる寸前、
廊下から小姓の声がして、
今宵の夜伽をつとめる側室の女人が寝所に入ったと伝えた。

 「直ぐに行く」

 信長は空気を変えた。

 「明日は、儀長城から、
彦八郎を先に帰すという話であったな。
岐阜へ戻り次第、直ちに顔を見せよと言っておけ。
国友へ発注した鉄砲の件、
詳しい報せを早う聞きたい」

 「はっ!」

 立ち上がった信長は仙千代を見下ろし、
目が合うと、少し笑った。

 「明後日は寄り道せずに帰城せよ。
祭禮(さいれい)を覗いてはならぬぞ」

 呆れた風を装って仙千代も笑んだ。

 「祭はございませんと申し上げました」

 「であったかな」

 仙千代が目線を下げている間に、
信長はいつもの大きな足音と共に消えた。

 

 




 


 
 



 

 
 




 

 

 

 



 


 

 



 

 

 





 


 

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