第139話 小木江城 見舞い

文字数 1,420文字

 長島一向一揆との決着の日は近付いていた。
真宗本願寺派の法主、顕如が後ろで糸をひく一揆勢は、
長島、屋長島、中江の三ヵ所に立て籠り、
籠城を続けて二ヶ月半が経っている。

 煮炊きの煙はとうの昔に上がることがなくなっている。
城内の阿鼻叫喚を思えばこの世の地獄は間違いなかった。

 しかし、織田軍は、
長島の地を赤く染める決意をもって容赦せず、
この後にこそ、戦の最終決着をつけると大将達は皆、
知らされていた。

 長月の下旬、
朝の小木江城に大将達が集められ、
共に朝餉を摂った後、
信長がいつも以上の大音声(だいおんじょう)で檄を飛ばした。

 「この後、さして間を置かず、
一揆勢は講和を申し込んでくるであろう。
これを飲んだと見せ掛けて、
降伏した一揆勢が城外へ出たところを根絶やしとす!
鉄砲を放ち、弓を射て、銃弾と矢を撃ち降らすのだ!
ただの一人も生きてこの地を出してはならぬ!
金輪際歯向かうことができぬよう、根切りせよ!」

 筆頭家老の林秀貞、宿老である柴田勝家、丹羽長秀ら、
参集した武将達は、信長の強い意志を再度確認し、
それぞれの陣へと散った。

 散会後、信忠は他の近侍達は待たせ、三郎だけを伴い、
竹丸に案内させて仙千代が療養している部屋へ向かった。
 もちろん、見舞う為だった。
深手を負い、
高熱に苦しんだ仙千代を励ましてやりたい思いがあった。
そして、ただ顔を見たかった。
生きて息をしている仙千代の声を聴きたかった。

 争って別れた日以降、
仙千代には一貫して冷たく接した信忠だったが、
仙千代が瀕死の重傷を負ったとなると、
清三郎を喪った直後であるだけに、
仙千代の安否さえ、
書状によってしか知ることのない我が身を恨んだ。
 深い傷を負い、未だ熱が下がらぬ、
かつて自分に属した小姓を見舞うという口実を得られた今回、
仙千代に会わないでいる選択肢はなかった。

 竹丸は信忠の少し前を行く。
三郎は信忠の後ろに付いた。

 竹丸が通り過ぎた、とある部屋の中から声が聴こえ、
「仙千代」という言葉があった。
 足を止めてまで聴きはしないが、
当人の居ない場でその名が出れば、
気にならないと言ったら噓になる。

 「……いくら手柄をたてた御小姓とはいえ、
総大将様が自ら看病されるとは、
御寵愛ぶりには驚くばかり」

 「仙千代殿か……御寵愛も深まろう」

 「というと?」

 「仙千代殿を伽の相手とされる時、
殿のお悦びになる御声が凄まじく、
御寵愛の強さ、深さが知れると聞き及ぶ」

 信忠が察するに声の主は茶坊主だった。
茶坊主は茶の湯の手配や給仕、来訪者の案内接待を始め、
雑用に従事している。
剃髪している為、坊主と呼ばれるが、
僧ではなく武士階級だった。
主に茶事とそこに関わる雑務に携わり、
戦に参ずることはない。
そこが小姓や近習とは異なっている。

 「かと思えば、赤子の世話をするように、
此度は下の世話まで為さったとも聞く。
年の差を超えて、
よほど御気性がお合いになられるのであろうなあ」

 「御気性なのか。いや、何もかもでございましょう」

 「ふうむ」

 「仙千代殿……ずいぶんお上手だという噂」

 「お上手?」

 「つまり、床上手ということですよ」

 「あのような御顔をされて……」

 「ですから良いのですよ……」

 くぐもった声で会話は交わされていた。
だが、話の内容はそのようなことで間違いなく、
信忠は耳を塞ぎたかった。

 心なしか竹丸の足が速まり、

 「副将様、こちらでございます」

 と、廊下の角を曲がるよう、促す。

 信忠の脳髄がじいんと痺れる。


 

 

 

 

 

 

 


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