第418話 仙鳥の宴(4)息子達と小姓④

文字数 1,561文字

 仙千代が、
三河吉田から美濃岐阜までの道程を懸念し、
忠次(ただつぐ)の六才の三男にとっては、
長旅に過ぎるのではないかと注進した際、
信長は意に介さぬ振りをした。
 
 人生行路の奇縁奇遇で、
婚期が遅れた忠次が、
ようやく授かった家次はじめ、
三人の男児のうち、
二人まで岐阜へ寄越せとは、
忠次にとって、
(はらわた)に石を詰めらるような思いであるに違いなかった。

 「だが、しかし、だ。
確かに五つ、六つは流行り病に弱く、
良かれと思った饗応が、
遠路の旅で幼児(おさなご)の負担になることを、
余は決して望まぬ。
万見が言うように三男は、
吉田で留守居をする方が無難やもしれぬの」

 口調の朗らかさと相反し、
信長の目はもう笑んでいなかった。

 可愛い盛りの我が子を人質に出す、
忠次の心境を慮りつつも、
家康が告げた。

 「上様の有り難き御申出、
ここは衷心からの感謝を申し上げ、
二男 酒井九十郎を美濃へ同道させ奉り、
上様の拝謁を賜ってはどうか。
御目通りの栄誉に浴せば、
九十郎の道は煌々と照らされて、
栄達に向け伸びゆくことであろう。
上様の御前にて、
口幅ったく心苦しくはあるが、
ちょうどその歳で尾張に住まったあの二年(ふたとせ)は、
酒井、覚えておろう、
今にして思い起こせば見聞広まり、愉快であった。
子は旅に出る。
それが何時(いつ)かというだけだ」

 家康は家臣の裏切りで、
信長の父 信秀に売られたとも、
謀略で信秀が手に入れたともいう境遇の中、
尾張で二年を過ごした。
 肉親も家臣も従えての暮らしとはいえ、
我が身を憐れむ思いがなかったと言えば嘘になるだろうが、
織田家、今川家と住処を変えての身上を家康は糧とした。

 九十郎なる稚児は、
酒井忠次の子として、
決して下には置かぬ扱いで、
織田家の男児達と同等の学びを授かり、
城下では貴人の子として過ごす……
それは二年か三年か、
もっと長く続くのか……

 武田勝頼のもとで暮らす異母弟(おとうと)
御坊丸を信忠は想った。

 幾ばくか湿った空気になったのを、
信長は斟酌せず、

 「此度、小五郎の勇猛さには、
つくづく感じ入った。
弟も我が城で、
立派な若武者に育ってゆくことであろう。
九十郎に会うことが楽しみでならぬ」

 たかが七つの幼児に対し、
大袈裟な期待の寄せ方をしてみせ、
信長は、

 「さ、もう一献!」

 と仙千代に忠次の盃へ酒を注がせた。

 「はっ!頂戴致します!」

 既に忠次に迷いや翳りは無かった。
小五郎も口元をきりりと引き締め、
晴れやかな様を装っている。

 人質といえば聞こえが悪いが、
価値のない者を呼び寄せることはないのであって、
信長が長女の徳姫を家康の嫡男に嫁がせたのも、
形を変えた人質だと言えた。

 例えば信長に臣従している、
大和の筒井順慶が、
実母を岐阜に住まわせる等、
信長の城下には多くの貴人の係累が住まわって、
それだけで一つの村が形成できる程だった。

 貴人村の住人が一人増えるということか……

 すっかり武将の面立ちに戻った忠次を見遣り、
信忠は内心、独り言を()いた。

 「浜松殿にも注いで差し上げよ」

 と、如何にも痛快であるという信長。

 家康には竹丸が酒器を傾けた。

 信長には酒井小五郎が返礼で、
同様にした。

 信長は、

 「織田家、徳川家、酒井家、
ひいては松平一族と、
今宵、紐帯(ちゅうたい)は一段と締められた。
目出度さ、この上無しである。
戦勝祝いの総仕上と言うべき、
鵜飼い饗応の役目一切、
万見仙千代に託す故、
以降、何なりと、
万見を取次にして申し出られよ」

 と、忠次に満面の笑みを向けた。

 信長の仙千代への寵愛は、
知り過ぎるほど知っているつもりの信忠だった。
 それにしても、
家康の叔母を(つま)として、
家康の腹心中の腹心である酒井忠次の接待を任されるとは、
突出した抜擢ぶりで、
力のない者を重責に就かせる愚挙は犯さぬ父だけに、
信忠は今更ながら仙千代の出世の速さ、
また信長の仙千代への期待の大きさに、
驚嘆を禁じ得なかった。


 
 





 




 






 
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