第310話 爛漫の岐阜城(7)

文字数 1,843文字

 常日頃、仙千代を見付ければ、
瞳に自然と笑みが浮かぶ彦七郎、彦八郎が、
今は引き締まった表情で、
邸内の秀政、仙千代に(こうべ)を垂れた。

 今までの兄弟とはまったく異なる空気に、
仙千代は秀政を見た。

 「両名は本日をもって、上様の命により、
万見仙千代付きとなる。
各々方(おのおのがた)、殿に御挨拶せよ」

 この場合の殿とは、万見家内に於いての地位を表し、
無論、仙千代のことを指していた。

 「市江(いちえ)彦七郎盛友(もりとも)
拝命を帯び、今日より殿に衷心よりお仕えし、
滅私奉公致す所存でありますれば、
何卒、宜しくお願い申し上げます!」

 「市江彦八郎盛典(もりのり)
兄共々、万見家隆盛を念じ、
全身全霊でお尽くし申し上げる覚悟にて、
何なりとお申し付けくださいませ!」

 正式な名で口上を述べた彦七郎、彦八郎は、
市江家の長老が烏帽子親(えぼしおや)となり、
しばらく前に元服を終えていた。

 瞠目したり、瞬かせたり(しばたかせたり)
目が白黒している仙千代ながら、
胸の奥まで一度、深く息を吸い込むと、
居住まいを正し、庭の二人に邸内から一歩近付いて、

 「市江彦七郎、市江彦八郎、
両名と儂の(よしみ)は深い……
これからも宜しく頼む!」

 と、短く告げるだけで精一杯だった。

 故郷の村で屋敷が近い三人は、
物心つく頃にはいつも傍に居て、
互いの家にまるで自分の家であるかのように出入りし、
寝泊まりもし、
喧嘩をしては仲直りも特にせず、
姉妹ばかりの環境に育った仙千代にとって、
二人は兄弟のような存在で、
また二人も仙千代を愛しんでくれた。

 秀政が口添えをした。

 「飾り立てて言うのも何だ。
直截に話すとする。
仙千代はともかく、彦七郎、彦八郎は、
いつかこの日が来ると分かっておったであろう」

 二人は頷き(うなづき)、秀政が続けた。

 「市江家は先代から当主が織田家に仕え、
二男(じなん)以下の兄弟は嫡男に仕えるという、
武家として、尋常なる家である。
それが、七男、八男でありながら岐阜へ呼ばれ、
若殿付きの御小姓となって、
次は上様、
その後は儂の預かりで馬廻りとして腕を磨いた。
通常では有り得ぬ道程を辿り、今に至る。
二人はそれが通りいっぺんの道ではないと、
いつから気付いておった」

 彦七郎が返した。

 「いつからともなく分かっておりました。
我ら二人は上様の思召し(おぼしめし)により、
仙千代殿の御付け人として城に召されたのだと、
いつぞやからか知っておりました」

 「それを如何に受け止めた」

 今度は弟が答えた。

 「強運、幸運を喜びました。
堀様が仰る通り、本来我らは部屋住みの身。
父の禄高で参りますれば、
七男、八男の我ら兄弟、
下手をすれば一家を成すことは叶わず、
妻子さえ持つことができるか、どうか。
ところが、御小姓衆に加えていただき、
馬廻り見習いとして抜擢された年には、
父の禄を大きく超えておりました。
我ら兄弟で、祖父に隠居の離れを建ててやり、
まこと、晴れがましく思ったものでございます」

 兄の彦七郎がふたたび継いだ。

 「仙千代殿が上様の恩顧を授かり、
けして甘えず、切磋琢磨なさる姿を目にし、
弟共々、いつの日か、仙千代殿の家臣となって、
手伝いをさせていただきたい、
同じ道を歩ませていただきたい、
左様に心から願っておりました」

 至って真顔の二人を見つつ、
この時ばかりは、

 いや、二人は儂が書の稽古をしたり、
その日の出来事を記したりしておる時に、
呼びもせぬのに儂の部屋に来ては、
小姓の間で回覧しておる絵草子や艶書を寝そべって読み、
儂の邪魔をしておった、
時には儂から筆を奪い、相撲の相手もさせられた、
しかも年がら年中……

 というような思いが浮かんだが、

 それはそれ、これはこれ、
二人の真情は感謝の上にも感謝しかない……

 様々な思いが去来し、
仙千代は万感が込み上げた。

 秀政は満足気そのものだった。

 「同郷で生まれ育ち、
共に城へ上がることを許され、
一緒に出世しよう、したいと思っておったと、
左様なことなのだな」

 兄弟は、

 「はっ!」

 「仰せの通りでございます!」

 と、瞳を輝かせた。

 「その意気や良しだ。
上様は役に立たぬ者なら呼びはせぬ。
市江兄弟に関しては、
四年前、尾張国 儀長城での餅つき行事の日、
鉄砲奉行であらせられる御城主、
橋本道一様の強い推挙があったのだ。
両人揃って明朗な人柄にして、剛の者であると。
万見仙千代はじめ、上様の御目に適った三人なれば、
これからもいっそう助け合い、
万見家、市江家、
そして何より織田家の為に、
忠義をもって武の道に邁進するのだ」

 「ははっ!」

 「はっ!」

 秀政は最後、三人に語り掛けていた。
仙千代も、

 「はっ!」

 と、最後、唇を固く結び、返した。


 


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