第179話 河内長島平定戦 夏の終わり

文字数 697文字

 秀成はじめ、多くの親族、忠臣が、
織田家の嫡流を守護するが為、
死出の旅に出たことをけして忘れてはならないと、
信忠は胸に刻み付けた。

 伴をする三郎が(くう)を指した。

 「あっ、秋茜!空が朱に染まって……」

 小木江城で大瓢箪に清三郎が水を汲んでいた日、
井戸端に秋茜が群舞していたと、
三郎が清三郎の最後の日を以前、語ってくれた。

 「秋茜を見ることは、これで終いかもしれませぬ。
いつしか夏が、本当に終わってしまった」

 夏が本当に終わってしまったという三郎の言葉に、
信忠は無言で同意を返した。

 清三郎、見送りに来たか……
いや、岐阜へ帰るのか……
そうだ、(せい)も共に行くのだ、儂と一緒に……

 馬上の信忠に、
秋茜と風雅に呼ばれる赤蜻蛉(あかとんぼ)の群れが、
纏わりついて離れなかった。

 三郎が宙に指を一本立てると、程なく一匹が止まった。
 
 信忠を見上げ、三郎は微笑んだ。

 「ほら!」

 「ほら!」の意味が分からない。
だが信忠は、分からないまま、やはり微笑を返し、
大きく息をひとつ、吸った。

 「若殿、こやつに、この秋茜に、
何かひとこと投げてやって下さいませ」

 三郎の指先に赤蜻蛉はまだ居る。

 「何と申す、三郎なら」

 一瞬の間を置き、三郎は満面に笑んだ。

 「煎って食えば美味そうだな、と」

 その言葉を解したかのように秋茜は指を離れ、
信忠の肩へ移った。

 「あっ、逃げられた!」

 「こやつは儂を好いておる。
居れるだけ、ここに居れば良い。儂の肩に」

 何を納得したのか、三郎は得心したような顔をして、
前を向き直し、歩みを進めた。

 いつしか蜻蛉は姿を消した。
しかし、信忠の心に、
この日の秋茜はいつまでも留まっていた。

 



 

 

 

 

 

 

 

 
 



 

 
 
 


 

 
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