第422話 仙鳥の宴(8)秀吉贔屓④

文字数 1,667文字

 遠くない将来、
信長が尾張、美濃を信忠に任せ、
自らは畿内に新たに築城するという話を、
仙千代は知っていた。
 仙千代は閨房で聴くことは、
たとえ些細なことであっても口外しないと決めていた。
 それが他の場所で公になったなら、
もちろんその域ではないが、
寝物語で語られたことは、
胸に納めておくべきだと考えていた。
 
 城の造営は軍事行動のひとつだった。
 とはいえ今回、
畿内は既に信長が掌握していて、
他国を浸食して築こうというのではない。
 故に、極秘ではないものの、
信長が、
新たな城を築く腹積もりを口にしたのは、
仙千代が知る限り、
ごく内輪の一回二回で、
それをもう耳に入れている秀吉は、
地獄耳と言って良かった。

 「知らぬとは言わせませぬぞ」

 冗談めいた口調に見せつつ、
奥の奥に微かな威圧と、
懇願にも似た必死さが滲んでいる。
 
 信長は美濃、秀吉は近江と、
離れて住んで、
かつ、戦線に投じられることが多い秀吉が、
信長の側仕えと親しく接触を得る機会は、
さほど多くなかった。

 いつも全力で事にあたる秀吉は、
他の武将なら尻込みしかねない難題も、
勇んで挑み、
過去一貫、好結果を出してきた。
 百の力があるのなら、
百を越えての力も出せるはずだというのが信長だった。
 秀吉はいかにも信長が好む種類の男だった。

 仙千代はにこやかに答えた。

 「存じております」

 「何処にどのような城をと、
気になりましてな」

 「私より羽柴様の方が、
御存知でいらっしゃるでしょう」

 「何を言われる。
近侍の方々には敵いませぬて」

 他の武将ならこの辺りで引っ込むところ、
木に登ったなら、
実を採らずには降りられない秀吉だった。

 「何をお望みでいらっしゃるのです」

 可能な限りの委細を知って、
いざ築城となった時、
他を出し抜くように機敏に動き、
信長の目を惹きたいという思惑は丸見えだった。
 だがそれが、
信長の役に立つか立たぬか考えたなら、
何一つ困ることはないわけで、
仙千代は、

 地獄耳を相手にしているのだ、
しらばっくれて狸芝居をしても、
反感の種を蒔くだけだ、
美味い種をやるのなら、
こちらは水と肥を貰うとするか……

 と胸中で描いた。

 「それはもう誰でもが思うのではござらんか、
新城の普請奉行をお命じいただきたいと」

 明け透けで欲を隠さぬところは、
公卿や坊主に比べれば話が易い。

 「で、ございましょうね」

 帝さえ顔色を窺う信長が築く城の総奉行となれば、
名誉の上にも名誉であって、
事実上、信長の筆頭家臣であることを、
世に知らしめることになる。

 「上様の御胸には何方(どなた)か、
お目当てが居られるのでしょうな」

 築城となると、
信長がその近辺に配した武将が動く。
 目下は佐和山の丹羽長秀、
京の村井貞勝、大和の(ばん)直政、
坂本の明智光秀、そして長浜の羽柴秀吉だった。
 その中で貞勝は京都所司代、
直政は大和国守護で、
共に(うるさ)い土地柄である為、
普請専従は難しい。
 すると候補は長秀、光秀、秀吉となる。
結果、
誰が天下人の城普請を任されるかは、
明瞭だった。
 長秀は信長の姪で養女である姫を正室とし、
系図上、信長の婿であると同時、
長年の寵臣だった。
 政治力、人格、戦績、
どれをとっても申し分なく、
何よりも信長の信任は他を圧倒している。
 光秀は幕臣でありながら、
信長の臣下でもあるという二足の草鞋から、
織田家臣となって日が浅い上、
比叡山との戦いで大きく武功をあげたことから、
この後は越前一向一揆衆という、
これもまた手強い宗教勢力の討伐を命じられる可能性が高いと
仙千代は見ていた。
 目の前の秀吉は、
一国を授かって力をつけた今、
各地への出征がますます期待されている。

 「奇縁ですなあ、
ちょうど長浜の城が竣成(しゅんせい)に近付いて、
城造りの妙味を儂も覚えましてな。
口幅ったいようでござるが、
ずいぶん書を読み、名人に習いもし。
この藤吉郎、
是非にも上様のお役に立ちとうござる」

 またも一歩、秀吉が()り寄った。
 今さっきの宴席で、
秀吉は信長の叱責を受けるほど賑々しかった。
 ところが酒の匂いがしない。
 本人はほとんど飲んでいなかったのだと、
それで分かった。



 
 

 

 




 

 





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