第237話 仇敵との再会(2)

文字数 1,202文字

 信長は思い付いたように、
兼能(かねよし)の所持品を、
場に居合わせた誰にともなく訊いた。

 堀秀政が直ちに、

 「白装束が入っておりました」

 と告げた。

 信長が何を知りたいのか的確に察し、
余分なことは口にしない。

 満足に食べられぬ日々を過ごされてきたのだろう、
痩せて細くなったその身……
なれど、最後の金子(きんす)で食べ物よりも、
装束を手に入れられたのか……
大木殿は(まこと)の武士だ、
心の心(しんのしん)まで武士(もののふ)だ……

 反物、生地は非常に高価で、
しかも縫い上げられた物となると、
入手するさえ容易なことではない。
 十分に食していないと見受けられる兼能の持ち物に、
純白の装束が入っていたことは、
仙千代の胸を締め付けた。

 今、感情を露わにすることは許されない。
しかし兼能のような一刻者(いっこくもの)が、
若い命を散らせることがあってはならないと念じ、
信長と兼能が歩み寄る道はないのかと、
仙千代は願った。

 「何故、野でも山でも、好きに自害せず、
この場に来た」

 信長に問われれば家臣ですらが慄いて(おののいて)
声を震わせる者が居る。
 桶狭間合戦前夜の日々、
家中のほとんどの重臣達が、
大大名の今川義元に臣従すべき、
撃って出るとは論外で、
せめて籠城戦をと詰め寄ろうとも、
信長は独尊を貫き、天を味方に勝利を収め、
以後、一気に戦国乱世の中央に躍り出た。
 今や家中に於いて、
信長の威光は一点の曇りも無く輝いて、
一挙手一投足は家臣にとって、
神の啓示にも等しいものだった。

 兼能は怯まなかった(ひるまなかった)

 「夏の長島で一滴の雨露で腹を満たそうとし、
満たしきれず狂い死にした者、
泣き声さえも立てられず、
生涯ただの一度も満腹というものを知らず、
母の腕の中で逝った赤子。
忘れられませぬ。
なれど、我が身は未だこの世にあって、
生かされている。
この一命を如何に使うか。
死ぬは一瞬、恐くはござらぬ。
此度こちらに参じ仕り、
我が心を確かめる所存でありました」

 兼能は伊勢国大木城主一族の出だった。
信長の北伊勢平定戦により城を失い、
敗走した大木一門衆の兼能は、
勇猛にして聡明であることを買われ、
長島一向一揆に武将として加わり、
敗北を喫し、ここに居る。

 信長は眼光鋭く、
兼能から目を離さなかった。

 「憎いか、儂が」

 兼能は声を発しない。

 「儂が死を命じれば腹を切ると申すのだな」

 兼能の生き死にが信長の掌中にあることは明白で、
兼能にしてみれば返事をするまでもないことだった。

 「儂が腹を切れと言えば切る。
では、橋の上で、
死ぬまで踊り狂えと言ったらどうだ」

 兼能は信長を見上げ、きっぱり放った。

 「お断り申す!」

 信長は兼能を見て、
一瞬、微かな笑みを浮かべた気がした。
 
 仙千代はごくりと喉を鳴らし、
掲げた太刀を強く握った。

 信長は立ち上がり、不敵な表情に戻っている。
仙千代、勝九郎も直ちに従って、立った。

 「悲しい、憎いで死んでおったら、
儂など当の昔、ここには居らぬわ」

 捨て台詞のようにも聞こえるが、
不思議と冷えた響きはなかった。




 
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