第419話 仙鳥の宴(5)秀吉贔屓①

文字数 1,898文字

 酒井忠次(ただつぐ)の饗応を任されるとは、
自身も内心、驚いたかもしれないが、
仙千代は表面上おくびにも出さず、
落ち着いた物腰で信長の世話をしている。
 
 元は漁業行為であった、
鵜を使って鮎を獲る鵜飼い漁は、
信長が接待に用いるようになり、
鵜匠の鮮やかな手並みを間近で見られるように、
贅を凝らした観覧船を仕立て、
初夏から秋にかけて内外の大名、
武将、富貴を招いて、もてなしの場となっていた。

 たった数年前、
足の霜焼けで鷹狩りに行かれなかった仙千代に、
信忠が拾ったギンナンを土産にやったら、
仙千代は嬉しいと言って泣いていた。
 今もこうしてこれほど間近に居るのに、
二人はあの日から、
こんなに遠く離れてしまったと、
信忠は諦観にも思いが込み上げた。

 やがて信長が、
末席で小さくなっている豊田藤助を、

 「藤吉!これ、こちらへ来ぬか」

 と明るく呼び付け、
雨夜の行軍の話を所望したので、
藤助は大いに恐縮しながらも、
八千という兵の先頭に立ち、
足場がぬかるんだ険しい山道の先導は、
武者震いではなく、
責の重大さに恐怖を覚え、
身の震えが止まらなかったと語った。

 「されど酒井隊も金森隊も、
藤吉を見失ってはならぬと、
軟膏のように張り付いておったと聞くぞ。
のう、酒井」

 「その通りでございます。
一歩間違えば、
山肌へ滑り落ちるかと思えば、
必死も必死。
まこと、よう働いてくれました」

 忠次はもはや、
息子を人質に出す苦悩、寂寥は、
微塵も滲ませていなかった。

 宴は和やかであったのが賑わいに変わり、
諸将があちこち入り乱れ、
所々は車座になり、酒を酌み交わしている。

 中でも羽柴藤吉郎秀吉の輪は大きく、
時に笑いが起きて(かまびす)しかった。

 「藤吉郎、ちと騒ぎが過ぎぬか」

 叱責を受けたことさえ、
信長の声掛かりだと思えば嬉しいのか、
または、嬉しそうに見せているのか、
夏の日向の干し梅のように皴くしゃの面相で、
秀吉が酒瓶を手に膝行(しっこう)でやって来た。

 「何だ、それは。
膝行かと思えば酒を片手に。
礼儀か無礼か、どちらかにせよ」

 と言う信長は目尻が下がり、
笑いを堪えている。

 「上様!
上様といえど聞き捨てなりませぬ。
亡き英雄達への葬送が悲嘆だけでは、
旅立つ魂も淋しからずやと思い、
この藤吉郎は、」

 「相分かった、分かった」

 信長にそのような物言いをして許される秀吉に、
家康、忠次、藤助らは驚きを隠せず、
酔いも醒める勢いで目を丸くした。

 「時に藤吉郎、
吉川郷のこの豊田なる者も、
通名に藤の字の入っっておってな。
藤吉郎の藤と同じじゃ。
藤というのは余にとって、
よほど縁起の良い花だと見える。
しかも(いみな)まで同じとは。
秀でて吉、まさに秀吉。
二人を目の前に今宵は気分が良いぞ」

 藤助は赤面し、俯いて汗を拭うばかりだった。
秀吉は秀吉でも藤吉郎は、

 「奇遇ですなあ、よく似た名にて、
他人とは思われませぬ。
いつしかまた、共に働ける日があることを、
願わずにはおれませぬな!」

 と藤助の肩をぐいと抱き、
日向の梅干し顏を一段とくしゃくしゃにした。

 「浜松殿」

 「はっ!」

 家康が信長の呼び掛けに居住まいを正した。

 「藤吉郎のように、
一国一城というわけにはゆかぬであろうが、
三河吉川の地を、
豊田の一族が代々守ってゆかれるよう、
安堵してくれれば余は嬉しい」

 山間の(ひな)びた里の地侍に、
天下人に等しい信長が心を砕いたことは、
藤助を驚天動地にし、
家康、忠次も、目を見開いた。

 「浜松殿が嫌でなければ、な」

 「嫌などと滅相もないことにございます!
上様の仰せの通り、
衷心よりの喜びをもって、
差配させていただきとう存じます!」

 既に吉川郷で地位を築いている藤助ながら、
信長直々に、
末代まで土地との縁を保証されたことは、
望外の褒賞に違いなく、
藤助は一瞬唖然とし、
次に正気に戻ると、
半ば腰砕けながら身を下げて、
額を床に押し付け、ひたすらに礼を述べた。

 元来が、
民百姓も商人も卑賎の者も、
隔てなく分け入って(よしみ)を交わし、
これと思えば取り立てて家来にするのが、
若い時代の信長だった。
 百姓に毛の生えたような藤助ではあったが、
出自を気にせず、
称賛すべきは称賛し、存分に褒美も与える、
そんな父の姿に、
己もそのようでなければならないと、
信忠は身を引き締めた。

 「吉川は何が名物じゃ」

 「肥えた鰻がよう獲れます!」

 「よし!まだ数日は三河に居る故、
持ってまいれ!
それぐらいの褒美は余にくれても良かろうぞ」

 藤助は笑顔に涙が入り混じり、
わけの分からない表情になっていた。
 皆が笑った。
 藤吉郎だけは、
笑いが少しばかり大袈裟で、
やたら声が大きかったが、
信忠は、

 まあ、いつものことだ、
何事につけ、大袈裟なのが藤吉郎だ……

 と眺めた。

 



 




 





 



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