第93話 秀政への問い(3)

文字数 1,515文字

 「万見家は浄土宗にて、南無阿弥陀仏。
一向一揆の門徒達も浄土真宗にて南無阿弥陀仏。
浄土におわします法然上人、親鸞上人は如何お思いでしょう」

 これを秀政に言ったことには意味があり、
浄土真宗の僧侶である伯父の許で育った秀政は、
実は熱心な真宗門徒だった。
同じ宗派の者と刃を交える心境を、
仙千代は婉曲に尋ねたのだった。

 「まず最初、その訊き方を褒めておこう。
何でも真正面から訊けば良いというものではない。
それでは殿の近侍は務まらぬ。
仙が大きゅうなったと、やはり言いたくなる」

 信仰という、
繊細な心の領域に立ち入って質してしまった仙千代を、
まず褒めて始める秀政こそ、流石に信長の側近だった。

 「答えを最初に言っておく。あくまで儂の答えだが」

 秀政は仙千代を真摯な目で見詰め、言った。

 「信仰と戦闘は矛盾しない」

 秀政は子供相手の口調ではなかった。

 「言うなれば、信仰の原点は現世利益。
奇麗事では済まされぬ。
他人の生死は問題ではない。あくまで己の武運を願うだけ」

 幼少期、寺に育った秀政が身も蓋もない返答を、
ズバリ、返してきたことに仙千代は驚いた。

 「武士の本分とは何か。命のやり取りだ。
まともな人間なら恐怖を覚える。
竹も仙も、死は恐ろしいはず」

 二人は頷いた。

 「どの宗派も本音は現世利益。
宗門が他人の為に祈るなど見たことも聞いたこともない。
仙千代が写経をするのは何故だ」

 秀政は仙千代が時に写経をしているのを知っていた。

 「浮世から離れ、心の弱さを見詰め、忘我となって、
明日への活力を得る為でございます」

 「そうだ。人は己の為に祈るのだ。
人間、結果を恐れるから信仰に走る」

 竹丸が問答に加わった。

 「信仰に結果を変える力は無いのでは?」

 仙千代も加勢した。

 「得度もしておらぬ身なれど、
若輩の私が思いますに、信仰は精神の支え。
結果を出すのはあくまで本人。
生き抜く為の心の柱、それが信仰なのだとすれば、
のめりこみ、命を捨てる一向門徒は不可解にしか思われませぬ」

 「まさに理解不能。間違いない。
理解不能の門徒達と白刃(はくじん)を交えるのだ、明日からの日々」

 信仰の本質が現世利益だと言う秀政は実のところ、
人格者だった。自らに厳しく、下の者に篤い。

 「法主(ほっす)に煽られ、女子供に至るまで戦いに加わるは、
本末転倒ではありませぬか?」

 と仙千代は問うた。

 一瞬、間を置いた秀政。

 「極楽だけを夢に見て、盲信し、
命まで捧げようという哀れな者どもではある。
心持ちだけで言えば儂なんぞより、よほど善良だ。
ただ、善良ゆえに信じ切り、極楽目指して(やいば)を振り回すは、
始末に終えぬ。
仙が言うように、祈りながら戦をするも矛盾だが、
望まずとも、誰もが生き残りを賭けて、
戦わずには居れない弱肉強食のこの時代、
武と信心のぶつかり合いが避けられぬなら、
あちらがこちらを弾圧と表するのは門徒側の言い分で、
それを通さぬ為には今は戦うしか道はない」

 傾聴していた仙千代が、最終的な問いを発した。

 「真宗門徒のきゅう様は、
万一、いずれ和睦が成った時、
顕如法主が法名を授けるといえば受けるのですか?」

 秀政から迷いのない答えが返った。

 「当然だ。(こうべ)を垂れて有り難く頂戴し、
最大限の謝意を述べ奉る」

 仙千代の心を覆っていた雲が、いくらか晴れた気がした。

 「戦国の世が出現した訳は、
争いを圧さえる為の圧倒的に強い力が存在しない、
この構造に尽きる。
儂が顕如法主から法名を頂戴する日を望むなら、
我が殿の御力にまずは頼るが正道というもの。
此度もそのつもりで働く所存だ。
それ以外に戦の世を終わらせる道はない」

 散々に迷いも悩みもした上での秀政の心情だと、
仙千代には伝わった。
 竹丸も、じっと静かに聴いていた。
 
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