第318話 帰郷(6)

文字数 1,850文字

 初夏を思わせる儀長城の長閑な昼下がり、
橋本道一の懐古譚を仙千代、彦七郎は傾聴していた。
 
 桜茶を飲み終わったところで、
彦八郎だけは、仙千代の命により、
先に岐阜へ帰されていた。
 信長が審議の詳細を首を長くして待っている。

 彦八郎に仙千代は、

 「明日、
夕刻には帰還すると上様にお伝えせよ」

 と、告げ、先に美濃へ送り出した。

 「かしこまりました!
橋本様、
心尽くしの馳走、美味しゅうございました!
御無礼仕ります!」

 彦八郎は機敏に去った。

 道一の話は前田利家についてのものだった。
 信長の小姓を出発点として、
数々の華やかな戦績に彩られた武人、前田利家は、
二十歳の時に信長の眼前で刃傷沙汰を起こし、
相手を斬殺した。
 それ以前にも、
同じ相手と激しい諍いを一度起こしていたものの、
その時は周囲が割って入って事なきを得、
信長の機嫌を悪くする程度で収まっていた。
 ただ、二人の険悪な仲は、
信長に諫められても続き、
一触即発の状態で燻っていた。
 最後、利家がついに斬り殺したのは、
信長の寵愛を受けていた、
拾阿弥(じゅうあみ)なる家人だった。
 傾奇者として共通の感覚を持ち、
気の合う利家といえども、
信長の怒りは激しく、利家は織田家を追放された。
 
 本来、良くて切腹、
下手をすれば打首あたりが妥当なところ、
拾阿弥の日頃の態度が誰にも高圧的であったことから、
森可成、柴田勝家ら、重臣の取りなしが為され、
利家は一命を取り留めたものの、
数年間の苦しい浪人生活を送った。
 
 実際、利家の織田家への復帰は奇跡だと言えた。
主の眼前で刀身を抜き、主の臣下を殺害し、
放逐で済んだこと自体、驚天動地で、
通常なら、胴に首が繋がっていることは、
有り得なかった。

 つまり、平たく言えば、
信長の利家への寵愛が根底にあって、
同時、利家も、
どれほど苦節に喘ごうが、
他家へ仕官せず、あくまで信長の赦しを待った。

 道一は、信長と利家について、
これこそが衆道の契りだと言った。

 「前田殿ほどの武辺者、槍の才があるのなら、
他国へ行こうが食うに困らぬ。
しかし、前田殿には、
主といえば上様のみが主であって、
それ故、困窮に耐え、赦される日を待った。
(つま)と幼い子を抱え、
幾年にも亘る(わたる)あてのない浪々の暮らしは、
ほんに苦しいものであったに違いない。
前田家といえば荒子城主の家柄。
しかし、上様の寵男を殺害したとなれば、
手を差し伸べることは、家として、叶わぬ。
また上様も、
織田家内での地位が固まり切っておられぬ中、
前田殿の不行跡に甘い顔は出来ず、
前田殿をいつ、どのように手元へ戻すか、
苦渋の歳月であったであろうと、
胸中をお察し申し上げる」

 岐阜の城に上がり四年経つ仙千代も彦七郎も、
信長の尾張支配が成る以前の出来事となると、
流石に委細は初めて耳にすることばかりだった。

 「上様は前田殿を犬千代、犬、犬と呼ばれて、
御小姓時代の前田殿を手離さず、
夜も日も明けず共に過ごしておられた故に、
前田殿の追放は上様を様々な意味で苦しめられたはず。
上様は、熱田の名家が、
行き場を失った前田殿を憐み、
屋敷地の小屋に隠れるように住み着くことを許されたのを、
見て見ぬ振りをされた。
上様にしてみれば、
早く手柄をたててこい、
戦で首級をあげてみせよという御心積もりであられたのか、
事実、前田殿は呼ばれもせぬ合戦に勝手に参じては、
幾つも首をあげ、
それが何度も続いた果てに、
ようよう前田殿の復帰をお認めになられた。
上様の心中……
上様が見上げる程に背丈が育って、
室も子も居るとはいえ、やはり可愛い犬千代殿。
一日も早く赦免してやりたいという御気持ちであられたと」

 六尺の類い稀なる極めて大柄な身で、
自慢の華やかな朱槍を携え、
ただそこに居るだけで威圧のある利家が、
犬千代であった時代、
信長が虚け(うつけ)と呼ばれ、
周囲の理解を得られず、家督相続の争いに身を置いていた日々、
若い二人の間で交わされた衆道の契りが今に生きていると思うと、
仙千代は身を引き締めた。

 上様の御厚情を裏切ってはならぬ、
儂の主は上様一人、
上様の信に報いることが在るべき姿……

 彦七郎は桜茶の残りをぐいと飲み干し、

 「時に、前田様は、
実は四男であらせられるとか。
それが何故、荒子城主になられたのです?
その辺りの話をちらと耳に挟む度、
いつも謎めいて思っておりました」

 と、ずばり、尋ねた。

 確かに不思議な話なのだが、
探りを入れて知るほどのことでもないような、
いや、探りを入れるべきではないような、
何とも収まりの良くない思いがあって、
誰かに問うことを自重していた仙千代だった。




 

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