第254話 道(1)

文字数 1,733文字

 信長一行が岐阜を発ち、垂井に一泊した翌日は、
朝から(みぞれ)が降っていた。
 
 当初、本日二十八日に、
丹羽長秀の佐和山城に到着の予定だったが、
雪とも雨ともつかぬ天候で、出立を諦める他なかった。

 朝、顔を見せた仙千代と竹丸は前日の不行跡を詫びた。

 信長は、

 「うむ」

 と答えたのみだった。
 昨夕叱ったのだから、それで足りている。
諍いなのか戯れなのか、
何やら組んずほぐれつしていた理由も尋ねなかった。
二人が今ここに揃って現われ、
息の合った様子で務めをこなしてゆく様を見れば、
昨日中に事の決着が付いたことは明らかで、
それ以上の詮索は、
信長の性分では時の無駄というものだった。

 それにつけても、
京と美濃を繋ぐ道の整いぶりは目を瞠る(みはる)ものだった……
長年の懸案であった厳しい傾斜はなだらかになり、
大きな障害物は退かされて、幅は広がり、
植樹された松や柳の数もたいそうなもの……

 年少の小姓達が信長の髪や髭を整える間、
信長は鏡の前に座し、
見事な出来栄えだった街道を今ふたたび、脳裏に浮かべた。
 その道は無論、
民衆の生活の利便の向上を期したものではあるが、
それ以上に大きな役割は近々想定される武田勝頼との
一戦が頭にあってのことだった。
 伴天連が言っていた羅馬(ローマ)という(いにしえ)の大国は、
道を重要視し、その成功で、覇権を確立したという。
信長は我が意を得たりと思い、
機会を狙って、今回、街道を整えたのだった。

 竹丸も加わった整備事業は過去に類のない成功例となり、
今回の旅で信長は我が目で実地に確かめた。
 奉行衆の誰もが姿勢の熱心さ、
地勢に関する詳しい知識、際立つ計算能力等、
竹丸を高く評価し、信長は非常な満足を覚えていた。
寵愛を傾けた小姓が一人前に、
いや、特別な才覚を示せば、
主君として面目がたつということなのだった。
 惜しいことには、贔屓でもないが、
格段に可愛がり、手を差し伸べてやろうとも、
能力には其々の向き不向き、尚も言うなら、
限界というものがあって、
主君の側近としての力を示せず、
権力の中枢から脱落していく者が居ないわけではない。
 信長としても成長を楽しみにしていた者であるから、
手離すにせよ、けして無下にはせず、
窮することがないよう心は砕くが、
才を発揮できない者を手元に残しておくことは、
他の臣下への手前、出来はしないし、
信長自身、する意志も無かった。

 代々、少なくない有力家臣が小姓を出発点として、
武将としての生涯の歴史を刻み始めている。
 信長の見たところ、
直近では堀秀政が抜きん出ていた。
何をさせても及第点以上であるばかりでなく、
容色が優れ、快活な人柄が爽快だった。
 今は竹丸と仙千代が他を圧倒していた。
池田恒興の嫡男、勝九郎も、
人柄温厚にして武道に優れ、
信長にとっては乳兄弟の嫡男であるから、
身内のようなものではあるが、
竹丸はいっそう賢しく(さかしく)、仙千代は一段と聡かった。
 実際、勝九郎は、
この後、恒興に付き従って織田家の重臣となる道筋が、
既に明示されている。
元服すれば恒興が勝九郎を将として育て上げ、
代を継いで織田家に仕える忠臣となる。
 竹丸も、現在は信忠の許で一軍を率いる武将、
長谷川与次の後継として、将来に翳りはない。
 
 問題は仙千代だった。
近習としての重要な役目に御次、取次がある。
例えば竹丸も勝九郎も、
(かばね)を聞けば耳にしたその者は直ちに一族の名や顔が浮かぶ。
竹丸であれば、
信長の死に戦とも言われた桶狭間合戦の際、
信長が真情を許した五人の小姓の内の一人、
長谷川橋介の甥だと相手は思い、
勝九郎であれば、
やはり信長の乳母の孫だと知れて、
相手は己の血族縁戚との関りを脳裏に浮かべ、
親しみや共感を寄せる。
 仙千代はそうはいかない。
万見という家筋は、
織田家にあっても他家にあっても無名であって、
仙千代の名には想起される背景が何も無かった。
 そのような状況下、
才に恵まれ、努力を惜しまず、
陰徳を備えた仙千代の将来を如何に構築してゆくか、
信長は楽しみを抱きつつも頭を悩ませた。
 功のある名臣、縁の深い重臣、それらの子が、
小姓としてやって来ている。
 何ら有力な後ろ盾も無い中、
ただ信長の寵愛だけで出世を果たしたと、
陰口を囁かれることのないよう、
仙千代が今のまま、
成長を遂げていくことを信長は願うのみだった。





 
ワンクリックで応援できます。
(ログインが必要です)

登場人物紹介

登場人物はありません

ビューワー設定

文字サイズ
  • 特大
背景色
  • 生成り
  • 水色
フォント
  • 明朝
  • ゴシック
組み方向
  • 横組み
  • 縦組み