第168話 河内長島平定戦 四人の「小姓」

文字数 1,667文字

 「大木は泣いておりましたな」

 粥をかき込みながら長秀が言った。
 信長の尾張統一以前から小姓として常に信長に従い、
身を粉にして働いてきた寵臣だった。
 信長は庶兄(あに) 信広の娘を養女とし、長秀に嫁がせ、
その嫡男にも信長の娘を娶らせ、
二代続けて舅となって、長秀を連枝衆同様に遇している。
 無論、若い頃には褥を共にした間柄で、
信長とほぼ同輩ながら、
美しかった面立ちは今も色濃く残り、
勇猛、聡明、博識と何拍子も揃い、
信長は長秀を、一日でも無くてはならない米にも喩え、
米五郎左(こめごろうざ)」と呼び、
友であり兄弟と公言し、憚らなかった。

 「うむ、泣いておった」

 取り寄せている飛騨の赤かぶ漬物を口中で粥と混ぜ、食べる。
美味いも美味いが、それ以前に、
そのようにすれば熱い粥も温度が下がり、
素早く食べられる。

 長秀が続けた。

「あの涙、如何なものでございましょうな」

 見ると、長秀の隣の秀政は熱いものが苦手で、
遅れを取るまいと、フウフウと息をかけて冷ましつつ、
時々いかにも熱いという顔をしながら食べている。
 小柄ながら活気に満ちて、
文武両道、容姿端麗、人柄温厚と、
何の欠点もなく見受けられる秀政の弱点が猫舌かと思うと、
秀政が信長の前に現われた昔日を思い出し、
凛々しい若侍となった今の姿を見ても、
あどけなかった童の秀政と重なり、
今から戦本番とはいえ、一瞬、温かな思いが湧く。

 信長はそんな秀政に訊いた。

 「五郎左(ごろうざ)が申した下り、(ひさ)はどう見ておる」

 五郎左とは長秀の通名で、
久太郎(ひさたろう)はやはり秀政の通名だった。

 「はっ!」

 水を向けられ、慌てて粥を嚥下したその顔は、
苦手な熱さで一瞬にして赤くなり、目は白黒している。
だが、歯切れに影響はなく、
想像外に真剣な口調で一気に答えた。

 「信用なりませぬ。
あの場では感極まり涙を流そうとも、
長島へ向かう馬上では、あれほどの武将ゆえ、
信興公の御命を奪うなど、
過去四年、どれほど織田軍、
ひいては御大将様に悲痛と損害を与え続けたかに思い至り、
このままでは済まぬと勘付くやもしれませぬ」

 一挙に言い放つと、その間に粥が冷めたのか、
次は流し込むように椀を空にした。

 信長に二杯目の粥を注いだ竹丸がちょうど横に居た。

 「竹はどう見た」

 実戦経験すら無い竹丸ではあるが、
死出の覚悟で信長と共に桶狭間に向かった小姓衆の一人、
亡き長谷川橋介の甥にして、
重臣であり風雅に長けた長谷川与次の嫡子である竹丸は、
岐阜の城に初出仕したその日から他の小姓を圧倒し、
才も自信も目立った。
 本人も明晰さを別段隠すことはなく、
澄んで爽やかな美貌と相まり、
黙していると、冷ややかに超然として映りはするが、
幼馴染の仙千代を寝ずに看病するなど、
けして冷酷ではなく、
時に覗かせる人情味は却って味わい深さがあった。

 「丹羽様の御高察、堀様の御懸念に同調致し、
一縷(いちる)の異存もございませぬ。
涙はいずれ乾くもの。
今ごろ、心で(やいば)を研いでおることは必定でございます」

 今日こそ積年の恨みを晴らし、
仇を討つと浮き立っていた信長は、
長秀の呟き、秀政の進言、二人に対する竹丸の同意に、
このまま何もなく済むはずはないと確信を深めた。

 とはいえ、敵軍は飢餓の絶頂にあり、
水路を断たれ、夏の間も雨水で凌ぎ、馬を食い尽くし、
総大将格の大木兼能さえ、大きくなった甲冑に、
痩せ細った体躯を入れているという案配で、
いったいどのような抵抗が一揆勢にできるというのか。

 連中は顕如の待つ摂津へ行くとばかり思い、
我が軍の船に大人しく乗り、
そこを狙撃され、斬られ、そのまま地獄へ送られる、
この手筈のどこに穴がある……

 信長は赤かぶを口に数切放り込み、
音を立て、勢いよく噛んだ。

 仙千代は食事を済ませ、
椀に白湯を注ぎ、飲んでいた。
 椀が口元から離れると、湯を飲む時に笑窪(えくぼ)が見られ、
戦評定(いくさひょうじょう)となっているこの一時(ひととき)が、
ふわっとそこだけ暖かな気を放って映る。
 聡い仙千代のことで、
次にすべきことを万事分かっているであろうに、
その上で押っ取り刀の顔をしているところは、
長秀と似ていた。
 竹丸は、
知性に鋭さを感じさせる秀政と個性が重なる。




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