第261話 側近団の朝餉(6)

文字数 1,143文字

 梅の香も爽やかな相国寺の朝の部屋に、
仙千代の声が響いた。

 「(きゅう)様!
底意地ではなく(くそ)意地でございますか!」

 一瞬にして信長は(うつつ)に還り、
苦笑いを漏らした。

 「久太郎、そう(いじ)めるな」

 秀政を嗜める(たしなめる)真似をした。

 「苛めてなどおりませぬ、人聞きの悪い」

 困惑の態を信長は装った。

 「(きゅう)は、
後進をよく育てる配慮の先達かと思っていたが。
ふうむ、それが本性か」

 「殿、仙千代の御味方をされるのですか。
殿こそ、御人柄が、」

 「ほう、儂の人柄を申すか。
久、それは興味がある、申してみよ。うむ?」

 信長は恍けて(とぼけて)みせた。

 「今は口を慎んでおきます。今は」

 秀政の芝居がかった拗ね方(すねかた)に、
信長はまたしても笑みが出て、
一同も主従の口合戦に笑いを噛み殺している。
 信長は自身が誰にも畏怖され、
時に恐怖心を抱かれていると知っている。
だが、そのように振る舞うしか知らぬだけのことであって、
このように、特別信の厚い者達と、
時に軽口を交わすことはけして嫌ではなかった。

 「ま、二人共、血気に逸らず(はやらず)
底も糞も、そうは変わらぬ」

 仙千代と秀政が同時に返した。

 「変わります!」

 「違います!」

 またも信長が笑い、

 「(あい)分かった!
その続きは二人でこの後、好きなだけやれ。
茶事の準備の合間にな。竹丸が行司役だ」

 と締めた。
 つまり、今川氏真(うじざね)を迎える差配を、
秀政、竹丸、仙千代に任せたということだった。
 現在の今川家に大きな力は無い。
しかし、身は小さくとも武家社会で高家の位を維持し、
公卿、旧幕臣、大商人と密な関係を保ち続けている。
 戦国の世で恨みつらみを言い出せば果てが無い。
しかし、大身の大名家が霧散して、
侮っていた小身の尾張の一奉行家が勝利を収め、
今や天下に手をかけている。
怨嗟を抱いているに違いない氏真を程好く宥め(なだめ)
かといって助長させず、
案配の良いところで立ち位置を確と(しかと)知らしめてやらねばならない。
 相手が相手であるだけに、
けして楽しいばかりの饗応行事と言えないが、
信長の近侍に於いて最も若い三人にこれを任せることで、
特に竹丸、仙千代の力を伸ばし、
成功裏に終われば秀政にも新たな箔が付くと、
信長は考えた。
 
 今川氏真……
甘過ぎず、辛過ぎず、飼っておけば良い……
どのみち、浜松に言われての上洛、
京へ着けばあちらから使いを遣してくるであろう、
こちらは新介が相手をすれば良し、
田舎者と呼ばれることなど、それこそ屁でも糞でもないが、
かつて嘲笑った(わらった)この儂に、
今川は如何なる土産を次は持ってくるのか……

 信長が梅を見遣りつつ、
氏真と毛利良勝の邂逅を想う合間にも、
近侍達の直談は進んでいた。
 
 棟別銭(むねべつせん)の交渉で、今日は菅屋長頼に追従し、
神社仏閣を回る段取りだという仙千代は、
支度を整える為、いち早く部屋を出て行った。
 


 


 


 
 



 



 

 

 

 


 

 




 





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