第391話 志多羅の戦い(10)新旧対決

文字数 1,490文字

 河尻秀隆の護りを受けている、
新見堂山の信忠、信雄(のぶかつ)の兄弟は、
信長の金の唐笠の馬印が、
本格的に戦闘が始まって、
ようやく茶臼山本陣に移ったことを見届けた。

 織田軍の諸将の印は、
大将に影響されたものか、
竿数が多ければ、
形状も派手だった。
 
 信長の旗は黄絹に永楽銭を付け、
招きには、
南無妙法蓮華経の題目を書き付けてある。
 黄金の笠は日除け、雨避けになり、
信長の実用好みがうかがえた。
 
 信忠は升形(ますがた)に金の切裂き、
信雄は金の傘、
ここには居ない信孝は金の杵、
秀吉は瓢箪に金の切裂きという具合で、
佐久間信盛と、
今回は畿内を守って動かずにいる明智光秀が、
白色の吹貫きや紙垂(しで)を使っている以外、
織田軍の武将は誰もが金色(こんじき)を競って用い、
赤や黒も多用して、
旗指物の本数自体、多かった。
 
 すなわち、それは、
軍の威勢を誇示するのみならず、
信長の財力を反映していた。
 華麗な細工の馬印、
煌びやかな切裂き、
数多の指物は決して安価なものではない。
 
 財力は戦闘遂行能力だった。
 織田軍の巨兵が纏う華麗な指物類は、
戦う前から敵を嫌な気分にさせた。
 昨今、
信長の覇権が確立されるに従って、
他の武将も指物が豪華さを増してはいたが、
源流は信長で、
芯の芯で信長は、
生来の傾奇者としての感性を、
未だ失わずいるのだった。

 織田勢の装飾の耀さ(あかるさ)は、
高みから睥睨すれば一段と明らかで、
同盟者とはいえ、
織田家に対し家勢の小さな徳川軍は当然のこと、
鎌倉以来の名門である武田勢と比べても、
趣の違いは瞭然だった。

 今、
打ち立てられた馬印の揺るぎなさ、
風にはためく御指物の林立ぶりは、
右往左往に惑う武田のそれらに対し、
連合軍が戦いを有利に運んでいることが、
はっきりと見て取れた。

 確かに武田も鉄砲を多用している。
だが命中率の低さは明らかで、
鉄砲衆の厚みが薄い。
 原料手配が十分でない為、
弾薬の鋳造に、
寺院の鐘楼や貨幣まで使用しているという。

 ふと、動きの緩慢になった戦況の隙に、
秀隆が若い二人に説いた。

 「上様、出羽介(でわのすけ)様、三介様の故郷、
尾張は小さい。
しかし海岸線が長く、海が広い。
広大な平地は開墾不要にして肥沃。
しかも上様は美濃を得て、
豊富な森林資源を手に入れられた。
また国が富むには日の本に名立たる神の社が必要、
大社は帝や公家が保護をして、
恒常的に人が集まり、金を落とす。
例えば三種の神器を擁する伊勢と熱田。
伊勢に次いで多くの分霊社を抱える津島。
これら三つの大社は上様の領国内に御座す(おわす)
伊勢、熱田、津島は湊でもある。
湊は物流、情報の集積地。
与兵衛尉(よひょうえ)の本意、
お分かりいただけまするか」

 周囲をぐるりと敵に囲まれて、
貿易港もなければ、
国有数の大社も無く、
海産物は周辺国に頭を下げねば得られず、
山間地が多い甲斐信濃は土地が痩せて、
飢饉、災害が起これば長引いた。
 食うものが無ければ物価が上がり、
衰弱した民に疫病が蔓延し、
流行り病で働き手が減れば食糧生産が滞り、
税収も失う。
しかし税を集めなければ戦が出来ず、
国が、家が、亡びる、
となれば強引な徴税となって人心に怨嗟を呼び、
君主は威厳と権威を損ねた。

 信忠が生まれる以前から、
甲斐の国では、
飢饉が長期化、常態化していたと聞く。
 亡き信玄は痩せた土地でも育ち、
生育の早い大豆に目を付け、
生産を奨励したというが、
長引く戦乱の世で、鉄砲時代が到来し、
武器の高額化が進み、
鍛え上げられ、智を弁えた武士団が、
昨日まで田を耕していた文字も読めぬ雑兵に、
弾で撃ち抜かれ死ぬ。
 時代の変遷、戦い方の変容は、
源氏惣領意識に囚われた、
誇り高い武田を苦しめ、
旧い(ふるい)しがらみを断ち切って尚、
痛みの寡少な新興の織田を大きく助けた。


 
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