第393話 志多羅の戦い(12)名将の執念

文字数 1,559文字

 鳶ケ巣山(とびがすやま)砦が落とされたなら、
長篠の城兵達は歓喜に沸いて、
城門を開け、
城前の川に橋を渡して酒井隊、金森隊と合流し、
籠城戦の苦難も忘れ、
武田軍を西へと追い詰めて、
やがて志多羅で、
織田徳川連合軍と共に激闘を繰り広げるに違いなく、
それを思えば、
開戦の火蓋が切られて未だ一刻で、
赤備えを率いる山県(やまがた)昌景が落馬の憂き目に遭って、
生命の危機に晒されているなど、
余りに信長が描いた通りの図になっていて、
信忠は肌が粟立った。

 馬を撃たれて下馬の態となっていた昌景は、
従者の一人が急ぎ、馬を降り、
代わって騎馬して再び突撃隊の一員となった。

 志多羅に展開している武田軍も、
連合軍と同じく鶴翼の陣形を敷いていた。

 河尻秀隆が眼下に林立する馬印や御指物と、
手元の控えを見比べつつ、
信忠、信雄(のぶかつ)に解いた。

 「敵は右翼、中央、左翼と分け、
先鋒、次鋒と隊を重ねて五手までの十五隊。
これを順次入れ替えて、
繰り出す算段と見ます。
先手の三隊は山県昌景が徳川陣、
鉄砲隊総指揮を執る滝川隊に仕掛けておるのが、
中央を任された内藤昌豊。
右翼の佐久間隊に激しい突進を試みておるのが、
馬場信春。
二番手、
武田信廉、真田信綱、真田昌輝。
三番手に、
土屋昌次、小幡信貞。
その後も、
武田信豊、穴山信君(のぶただ)
小山田信茂ら、武田の武将が一堂に」

 昨年の冬、
勝頼が美濃 岩村へ侵攻し、
明智城を包囲した。
 信長と共に信忠も出陣したが、
険しい難所続きの上、
到着前に内応者が出て城は敵方に落ちていた。
 信長は為す術がなく、
美濃の高野に城を築かせ、
城番として河尻秀隆を置いた。
 信忠は、
長篠 志多羅の戦いが終結すれば、
岩村城はじめ東美濃の城や砦の奪還に、
総大将として向かうことになっている。
 そこでも秀隆は信忠軍の副将として、
任じられていた。

 信秀の代から織田家に仕え、
信長が親衛隊を結成した際は、
上位に当たる黒母衣(くろほろ)衆筆頭に抜擢され、
信長が実弟に命を狙われた際は、
実行役となってそれを排除し、
以後、覇権を拡大する信長の下で、
確実に戦功を上げた秀隆は、
信長にとって兄とも慕う忠臣で、
出身が美濃の土豪であることから、
国境を接する甲斐の武田情勢に詳しく、
信長の対武田戦略には必ず秀隆の名があった。

 「あれに見えるは……無謀な突撃。
柵へ引き付けられた挙句、
被弾して馬が倒れ、武者が落馬し、
足軽、雑兵は……」

 と、先程まで、
血湧き肉躍らせるかのように、
浮き立っていた信雄が、
数多の将兵が絶命していく様に、
今は青ざめていた。

 世に聞こえた名立たる武将達が、
弾雨に多くの手勢を失って、
隊列が目に見えて薄くなり、
乱れを生じていることは瞭然だった。

 「この分では敵は、
半日と持ちませぬ」

 と、眼下に身を乗り出していた信雄が、
振り返って信忠に告げた。

 すると信忠に代わり、
秀隆が入った。

 「不安定な地位を、
確たるものとしようという本意に固執した勝頼。
無謀な戦いとなったのやもしれませぬが、
無謀な突撃ではありませぬ。
敵の前線を突破して食い込むは、
常套の戦法にて、
侮ってはなりませぬ。
弓、鉄砲の攻撃をしのぎつつ、
敵陣に突入し、これを、
後方から続々と乗り込みをかけて勝機を見出す。
武田軍は間違った戦法を取ってはおりませぬ」

 鶴翼の最奥に大将を置いた武田は、
先手から五手まで、
順繰りに壮絶な突破を仕掛けていた。
 信長も、同じく鶴翼の中央、
最も深い位置に陣を置き、差配していた。
 壮絶な鍔迫り合い(つばぜりあい)の末、
明日、笑っているのは、
どちらの翼の主なのか。

 「三河衆は柵の前まで打って出て、
激烈なる攻防を……」

 と秀隆が、その直後、

 「若殿、三介様!
御覧あれ!徳川の陣を!」

 と声を張った。

 そこでは、絶え間ない轟音の中、
連合軍の右翼が破れ、
一度は落馬した山県昌景が、
第二柵を突破して、
家康本陣にまで執念の切り込みを果たしていた。



 
 


  
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