第309話 爛漫の岐阜城(6)

文字数 1,074文字

 先ほど、夢の中で仙千代は小坊主だった。
目覚めた時、
寺育ちの秀政が居たことは不思議な偶然に思われ、
仙千代は尚も問うた。

 「久様は寺を出たくていらしたのですね」

 「妻帯も肉食も許されておる本願寺とはいえ、
育ち盛りの男子には抹香臭い暮らしは面白うはない。
従兄(いとこ)の三右衛門と武芸の稽古ばかりしておった。
そして二人で誓った。
いつか寺を出たらなら先に名を上げた者に、
どちらかが従おうと。
三右衛門は儂より年長だが、約束を守り、
儂を支えてくれておる」

 三右衛門こと、奥田三右衛門直政は、
異例の速さで出世を遂げた秀政の側近として、
常に行動を一にしていた。
 三右衛門は六才年上ながら秀政の補佐に徹し、
秀政の妹を娶り、
形としては秀政の義弟ということになっている。

 秀政は美濃の古豪の長子で、
手足となる人材に困ることのない境遇だった。

 仙千代は秀政を尊敬していた。
有能であるばかりか、それを鼻にかけることがなく、
いつも活気に満ちていて、積極性があった。
岐阜へ初めてやってきた日には、
海辺の田舎坊主に過ぎない仙千代ら三人を相手に、
側仕えとしての心構えを説いて、
暖かくもてなしてくれたことも忘れられない。

 ふと気付くと、秀政が仙千代をまじまじと見ていた。

 「私が何か?」

 秀政は相好を崩した。

 「畳の痕が付いておる」

 「えっ?」

 「右頬」

 「あっ!」

 仙千代が頬に触れると畳目がくっきり分かった。

 「お恥ずかしゅうございます」

 「笑いたいのをずっと我慢しておった。
何やら仙が今ひとつ、浮かぬ表情であった故にな」

 竹丸は別として、
先に城勤めを始めた他の小姓を出し抜いて、
仙千代と勝九郎は目を瞠る(みはる)邸を与えられ、
今後は家臣や家来を持って、
一家を成してゆくことを許された。
 勝九郎は信長と幾重にも縁の繋がる池田家の嫡男である上、
本人の人柄、資質を鑑みれば、
抜擢されることは至極当然で何の不思議もなかった。
 一方、仙千代はといえば、
信長は仙千代に格別の寵愛を授けたつもりかもしれないが、
仙千代の背景の弱さ、
言い換えれば家格の低さが、
行く道に影を落とし、歩みを阻んでいる。

 仙千代は思うところを、敬う秀政に打ち明けようか、
いや、打ち明けたなら、
それもまた迷惑なのではないか、逡巡した。

 「仙千代」

 「はい!」

 「何ゆえ、儂がここに来たか、尋ねぬのか?」

 「左様でございました!」

 「うたた寝を起こしに来たとでも?」

 「恐れ入ります」

 確かにそうだった。
信長に重用され、多忙な秀政が、
いったい何をしにやって来たのかという話だった。

 庭に動きがあって、見遣ると、
彦七郎、彦八郎が姿を見せた。


 

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