第194話 麒麟(3)

文字数 1,609文字

 三郎が、少しばかり茶々を入れた。

 「とはいえ、御寵愛が過ぎるのも……」

 三郎は続けた。

 「殿が姪御様を養女とし、
丹羽様に嫁がせたのが、丹羽様二十八才の折り。
もちろん丹羽様は、既に元服を終えられていたが、
殿は丹羽様を信頼し、
丹羽様なくしては一日も明けぬという案配で、
諸情勢が今とは異なるとはいえ、
御信頼の深さゆえ、
丹羽様の御婚姻が遅れたという噂も」

 確かに丹羽長秀は、信長最古参の側近で、
なくてはならぬものという意味で米にも喩えられ、
米五郎左と家中で呼ばれ、
信長自身、長秀は、

 「友であり兄弟」

 と言って憚らないほどの寵臣で、
織田家家臣団で最も初めに一国を与えられ、
大名となったのも長秀だった。
 ただ、晩婚だったことは事実で、
初の子、
しかも幸いに嫡男に恵まれたのもようやく数年前だった。
長秀は、
信長の実の姪であり、
養女(むすめ)である正室に子が生まれるまで側室を持たず、
そこでも信長への忠節を果たしている。
まさに、信長に捧げた生涯だった。

 「仙!どうする」

 突然、三郎が大きな声を立てた。

 「えっ?」

 仙千代は重臣中の重臣である長秀の若かりし頃の話として、
遠い彼方の絵空事のように聞いていた。
それが突然自分に降り掛かってビックリしている。

 「儂か?儂がどうかしたのか?」

 「そうじゃ、仙千代じゃ。
殿の御寵愛の深さゆえ、丹羽様のように、」

 竹丸も何が可笑しいのか、
三郎に加勢するようにニヤニヤしている。

 仙千代は三郎の言葉が終わらぬうちに真顔で放った。

 「ならん!儂はならん!
三十路(みそじ)前まで独り身など有り得ぬ」

 「しかし、分からぬぞ、
殿は我らの命運を握っておいでなのだ、
分からぬぞ、仙とて、どうなるや知れぬ」

 三郎は調子に乗って面白がるばかりだった。

 仙千代はますます真剣に反論した。

 「時代が違う、
丹羽様が侍っておいでの時代は、
殿が尾張統一に苦労を重ねておられた時代、
今川義元に臣従するか、いや、戦うか、
戦う御意志の殿は家中で孤立を深め、
幾度も謀殺されかかっておられた時代、
それゆえ、
丹羽様のような腹心を一時も手離せずにおられたのだ。
今は違う。
天下の政務を殿が為さっておられる。
小姓とて、百人に近い。
儂はもっと早うに(つま)を娶り、子を為すんじゃ。
万見家には儂しか男子が居らぬ、
儂は大勢の子を為す義務があるんじゃ、
でなければ父上に申し訳が立たんのじゃ」

 仙千代が顔を真っ赤にし、熱弁を奮い、ふと気付くと、
三郎、竹丸が必死に何かを堪えているような顔をして、
再度仙千代が二人を確と(しかと)見ると、
夜中だというのに、今度は爆笑された。

 三郎と竹丸が、
水を入れていた空の竹筒、枕などを仙千代に投げ、

 「引っ掛かった、引っ掛かった!
仙千代を茶化すのは面白い!」

 「すまんな、仙千代、三郎と二人、
つい、揶揄った(からかった)
真顔で言い張る様がほんに笑えた!」

 「仙千代、吠えたな、久々に!」

 「騙したな、儂を!儂で遊んだな!
許さん、許さん!」

 仙千代こそ二人に飛び掛かり、
覆い被さって殴る、蹴るの真似事をした。
 二人は笑いながら仙千代の攻撃を受けていた。

 やがて、他の部屋から誰か小姓がやって来て、

 「やかましい!夜は寝ろ!
明日も早起きだ、静かにしろ!」

 と怒鳴った。

 三人は怒鳴り声の主に口々に詫び、
その後、小声で、

 「ほら見ろ、三郎のせいで怒られた」

 「竹、何を言う、竹も儂に乗ったではないか」

 「まことの被害者は儂じゃ、この仙千代様じゃ」

 と互いに言い合い、
その内には長きに渡った出征の疲労のせいで、
三人、折り重なるように眠ってしまった。

 もう、三郎の(いびき)も気にならなかった。
ただ、薄れゆく意識の中で、
仙千代はひとつだけ、強く願った。

 いつの日か、我ら三人の子や孫が、
ひとつ場所、
そう、織田家の家中でこのように親しんで、
楽しく語らえたなら、それこそが夢……
殿は大殿となり、若殿は殿となり、
若殿の御嫡男が麒麟の世を繋ぐ(つなぐ)……

 夢のまた夢に、仙千代は深く落ちていった。



 


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